※ 所属や肩書は取材当時のものです。
21世紀に入り、日本の狩猟者の位置づけが変わりつつある。想定外に増えたシカやイノシシの捕獲を通じ、野生動物との関係性を問い直す「自然の代弁者」という役割が高まっている。ナイフで獲物をさばいたときに残る皮の活用も、奪った命への答えだ。
その日獲れたのは約30kgのオスジカ。富士山麓の里山に仕掛けたくくり罠にかかったものだ。すでに内臓は抜かれガレージ前の水場で冷やされている。
「ぼちぼちやりますかね」
井戸直樹さん(38歳)はシカの後脚にフックをかけ、チェーンブロックで吊り上げた。狩猟免許をとって7年。年間50頭ほどのシカやイノシシをさばく。
里山の保全活動と自然ガイドが本業だ。田舎を軸にした持続的な暮らしも研究中。出身は大阪で、滋賀県立大学で植物生態学を学んだ。今は陸上のアウトドア活動が多いが、最も得意なアクティビティーはカヌーで、国体の滋賀県代表も務めた――。
そんな話をしながらも、井戸さんは真皮と筋膜の境にナイフをなめらかに進め、セーターでも脱がせるように皮をむいていく。
「シカは簡単なんですよ。切り込みの端を固定して車で引っ張っちゃう人もいるぐらい。これぐらいのシカならナイフ1本で15分くらいでむけます。その点、イノシシは質感が違う。値打ちのある脂身を肉側に残したいので、2時間はかかりますね」
井戸さんが獲物の解体で最も神経を払うのが、この皮むき作業だ。野生動物の皮は、近年の日本では利用価値のないものとして打ち捨てられてきた。
それは皮むきナイフの形状にもあらわれている。伝統的に毛皮を大切にする欧米のスキナー(皮むき)は刃が大きな弧を描いているが、肉を重視してきた日本の皮むきは弧が緩い。井戸さんは、ともすれば皮に傷がつきやすい日本型を、手首のしなやかな動きでカバーしながら扱い、肉と皮の両方を得る。
「今の富士山の森は都市公園のようにきれいなんですよ。感動する人もいるんですが、じつはシカが下草や灌木を食べ尽くした結果で、異常なこと。かといってシカが悪いわけじゃありません。シカの活用は僕にとって自然をより深く知る手段です」
植生もシカも大切にしたい。地域の農地も獣害から守りたい。そして、人間の営みをもう一度見つめ直したい。そんな思いの先に、日本では大事にされてこなかった皮の利用があった。
「肉も皮もありがたい贈り物。そう考えるとナイフの扱いはおろそかにできません。たとえば背中はおいしいロース肉が取れるところですが、皮としても大事な場所。真ん中ですから刃先で傷つけると価値が下がります。傷を怖れて皮に肉を残すと、今度はなめしに影響が出ます」
なめしは1枚から引き受けてくれる東京の業者に依頼。主催するワークショップなどでクラフト素材として使う。最近は乾燥させただけの皮で太鼓を作り、仲間と演奏ユニットも組む。
「狩猟をするようになってから人生がどんどん面白くなってきました。あっ、ちょっと待ってくださいね、電話です」
仲間の罠にイノシシがかかったが、仕事があるので処理を頼めないかという連絡だった。ナイフを洗うと、井戸さんはガレージから風のように出ていった。
※ 所属や肩書は取材当時のものです。
文/かくまつとむ 写真/大橋 弘
※ BE-PAL 2015年1月号 掲載『 フィールドナイフ列伝 06 21世紀型猟師の皮むきナイフ 』より。
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