DAY 5【Patterdale to Shap 総距離25km】
深夜に妖怪ゴブリンの仕業が!?
「バキッ!!!」
夜中、アリーがトイレに行こうとテントのジッパーを開けた瞬間、イヤーな音がした。テントの入口が歪な形となっている。紛れもなくポールが折れた音だった。風も無ければ、何も圧力がかかる場所にテントを張っているわけでもないのに。思い当たる理由は見つからない。もしや、昨日、帰り道に見かけたイタズラ好きな妖怪、ゴブリンの仕業か?!
しかし、心まで折れている場合ではないのだった。何せ今日は湖水地方で過ごす最終日ということで目一杯楽しみたいというのと、予定しているShap村までは25km, 累積標高差 1300メートルの登りが待っているからだ。今朝は8時半頃キャンプ場の裏山からスタート。
昨夜ここで野営をしていたファミリーと思われる人たちがいた。昨日のキャンプ場ではなく、歯を食いしばってでも、ここに辿り着いてキャンプをしたらどんなに気持ちがよかっただろうか、と少しばかり後悔するも、あの疲れ具合ではかなりキツかったに違いない。
ジグを切りながら下る。草の中に岩が混じり、急斜面なため、石に足が着地するたびに膝が鈍痛で泣く。「ヒーコラヒーコラバヒンバヒン」と心で叫びながらなんとか湖に到着。
湖の底に沈んだ故郷
もともとは小さな湖に過ぎなかったHaweswaterは1929年にマンチェスターの住民に水を供給するためにダムに変身し、その際にやむを得ずかつてあったMardale Green村は湖の底に沈んだ。村のお墓はすべて掘り起こされ、別の場所に埋葬され、人々は故郷を後にせざるを得なかったという。
イギリスで一番高いプール
ベンチに私たちもご一緒させてもらうことにした。日差しが強く「それにしても暑いねー!」と声をかけると、シャロンと自己紹介した彼女は言った。
「知ってる?この先のShapにはイギリス一、標高が高い市民プール(標高270メートル)があるのよ!私は、今日何としてでもそのプールで泳ぐつもりなの」と、教えてくれた。正直、私たちは既に疲れて、今日は目と鼻の先にあるBurbanksという小さな町で切り上げる予定であったが、 私が「プール」という言葉に異常に反応を示したばっかりに、5,6キロ先のShapへ何としてでも強行することになった。
1199年にフランスのプレモントレ修道会によって建てられたShap Abbyはイギリスで最後に建てられた修道院とされている。1540年に宗教改革を断行したヘンリー8世によって解散され、タワーが僅かに残るも、建物のほとんどは無惨にも壊されてしまった。寂しげな佇まいとは対照的に羊たちがむしゃむしゃと生き生きと草を食んでいる姿が印象的だった。
膝の痛みと戦いながらも何とかしてShap村に入る。せっかく必死に急いで歩いたのにも関わらず、残念ながらShapの公衆プールは既に閉まっていた。とはいえ、たとえ開いていたとしても到底、プールで泳ぐ元気なぞ微塵も残っていない。鰻の寝床のように細長いShapのキャンプサイトはどこにあるのか地元の子供たちに聞くと、よりによって村の一番の外れだという。
1kmほど歩き、ようやく辿り着き、時計を見るとすでに19時近くだ。11時間の歩きは長かった…。ハレホレヒレハレと地面に崩れ落ちたい気持ちもやまやまだったが、ここは身体に鞭を打ち、テントを設営。
スペアポールを持ってきたのでそれで助かった。
自炊する気力はなく、今夜もパブで食べることにし、ダウンジャケット、ヘッドランプを持って、村の反対側にあるパブに鉛のように重い足を引きずりながら向かう。
ようやく温かいパブに転がり込んだ瞬間、疲れがドーーっと押し寄せてくる。
パブのお兄さんに勧められ注文。直訳すればベタベタ•トフィー•プディング。
はい、どうぞ! と出された際の第一印象は、歯が一瞬にして溶けてしまうのではないかと思うくらい甘そうだ。しかし、いざ口に入れてみると、予想外にもとても上品な味に一気にファンになった。
ほどよく温められたしっとりとしたスポンジ状のプディングはドライデーツ(ナツメヤシ)が入っていて、そこにとろ〜っとした、トフィーソースが絡められている。時にはアイスクリームやクリームがサイドに付いてくることもあるという。
お腹も心も満腹になったところで、はたまた村の反対側のテント場へと戻る。無風で夜空は澄み渡り、あたりには静けさが漂っていた。今日はかなり疲れたけれど、とにかく平穏無事に辿り着けたことに感謝しつつ床に就く。そして、草木も眠るうしみつ時。
「バキッ!!!」
落雷のような音が響き、二人で飛び起きる。
「なんやー!!!」
テントの中を見渡すと入り口のテントポールがまたもやポッキリ折れていた。ゴブリンのイタズラ(?)Part 2 がやってきてしまったのだった…。
(実際歩いた距離30.8km、万歩計55,253歩)
写真・文/YURIKO NAKAO
プロフィール
中尾由里子
東京生まれ。4歳より父親の仕事の都合で米国のニューヨーク、テキサスで計7年過ごし、高校、大学とそれぞれ1年間コネチカットとワシントンで学生生活を送る。
学生時代、バックパッカーとして世界を旅する。中でも、故星野道夫カメラマンの写真と思想に共鳴し、単独でアラスカに行き、キャンプをしながら大自然を撮影したことがきっかけになり、カメラマンになることを志す。
青山学院大学卒業後、新卒でロイター通信社に入社し、英文記者、テレビレポーターを経て、2002年、念願であった写真部に異動。報道カメラマンとして国内外でニュース、スポーツ、ネイチャー、エンターテイメント、ドキュメンタリーなど様々な分野の撮影に携わる。
休みともなればシーカヤック、テレマーク、ロードバイク、登山、キャンプなどに明け暮れた。
2013年より独立し、フリーランスのカメラマンとして現在は外国通信社、新聞社、雑誌、インターネット媒体、政府機関、大使館、大手自動車メイカーやアウトドアブランドなどから依頼される写真と動画撮影の仕事と平行し、「自然とのつながり」、「見えない大切な世界」をテーマとした撮影活動を行なっている。
2017年5月よりオランダに在住。
好きな言葉「Sense of Wonder」
2016 Sienna International Photography Awards (SIPA) Nature photo 部門 ファイナリスト
2017 ペルー大使館で個展「パチャママー母なる大地」を開催