※ 所属や肩書は取材当時のものです。
少なく釣って多く楽しむことを考えなければならない時代。その楽しみ方のひとつが、手にした獲物を慈しむように味わうこと。そんな“食べる派”の渓流釣り師に必携の道具が、下処理用のポケットナイフである。
「よそ者の僕にとって、イワナ釣りは地元の人たちとのコミュニケーションツールでもあるんですよ」
こう語るのは、青森で自然体験のNPO活動を行なっている谷口哲郎さん(34歳)。前職は環境省白神山地世界遺産センターのアクティブレンジャーだ。
「白神の自然をどう守るか。それを考えるには森を利用してきた人たちの意見も大事です。でも、教えを乞いに地域に入っても、同じにおいのしない人間はなかなか信用してもらえません。
僕は子供のころから釣りが好きだったけれど、渓流釣りはしたことがありませんでした。白神に来たとき地元の名人にそういうと、なんだ、おまえは釣りをやる男なのか。じゃあ行くかと案内され、いきなり尺イワナを釣らせてもらいました」
渓流釣りは、ある意味で究極の自然観察だ。まずは自分自身が野生動物になって接近の気配を消さなければならない。流下してきた餌を魚が捕食しやすい場所はどこか。今好んで食べている昆虫の種類は…。即座に立てねばならない仮説が山ほどある。野生動物との遭遇率も高い。
「釣り登っていったらクマがミズバショウを食べていたことがあります。思わず両手を挙げ、後ずさりしました」(笑)。
釣りが縁で地域に融け込み、今では自然学校が主催するツアーのガイドを依頼する関係に。釣りや猟の技術に長けた生粋の山びとたちの話は、参加者からも好評だ。
そんな白神の人たちから、谷口さん自身が教わった精神がふたつある。資源維持の大切さと、奪った命への敬意である。
「むやみに持ち帰らない。僕の師匠は、自然繁殖に依存するイワナはもう3尾までだといっています。粗末に扱うと怒られますよ。最高の状態でおいしく食べるのが礼儀じゃないかと」
釣ったイワナは食べる分だけをナイフで絞め、腹を裂き、エラと内臓をていねいに取る。フキの葉で包めば鮮度のよい状態で持ち帰ることができる。
谷口さんがいつもベストのポケットに入れているナイフがオピネルだ。ブレードはシンプルな炭素鋼。つまり手入れを怠れば錆びる鋼材だ。天然木のハンドルは、水を吸うとブレードの開閉が硬くなる。つまり、釣り向きのナイフとはいえない。
「でも、僕はこのナチュラルな素材感が大好きなんです。値段も手ごろだし、単機能に徹した潔さもいいですね」
子供を対象にした体験プログラムでも、最近は釣りを重視する。釣った獲物を刃物でさばき、焚き火で料理する。釣りには自然と人間の本質的な関係性が凝縮されていると考えるからだ。
※ 世界遺産地域内での釣りや焚き火は禁止されています。
取材協力/熊の湯温泉
青森県西津軽郡鰺ヶ沢町一ツ森湯涌淵31
0173(79)2518
文/かくまつとむ 写真/大槗 弘
※ BE-PAL 2015年9月号 掲載『 フィールドナイフ列伝 14 イワナ釣りナイフ 』より。
現在、BE-PAL本誌では新企画『 にっぽん刃物語 』が連載中です!フィールドナイフ列伝でお馴染みの『 かくまつとむ&大槗弘 』のタッグでお届けしております!