※ 所属や肩書は取材当時のものです。
かつて農民は刃物使いの達人だった。土を削る鍬。雑草を刈り収穫をする鎌。いずれも刃物である。時は過ぎ、農業の主役は機械になった。作物の種も自ら育てる時代から買う時代へ。農の魂はどこへ行くのだろう。
「鍬にしても鎌にしても、使わんようになりましたなあ。とくに鎌、今のままでは消えるのではないかと心配しています。うちでさえ、このちょっと歯っ欠けの鎌が1丁あれば足りますので。当たり前ですね。草1本でも、手で取らんで済むように考えてきたのが近代農業ですから」
岩崎政利さんは、自ら種を採ることで昔ながらの品種を守り続けている有機農家だ。
種採り専用の区画では、大根の花が終わって莢が膨らみ始めていた。あと半月ほどたって黄色く熟したら、茎ごと刈り取って干し、保存するという。
「草刈りはもっぱら機械でやりますから、鎌を使うのは種採りのときぐらいになりました」
種採りという行為も、見方によっては鎌と同じぐらいに時代遅れの存在である。現代の種苗の主流はF1品種(一代交配種)。優れた形質を自在に作り出すことができ、均一に育つのが特徴だ。農業と食料流通の双方に革命をもたらした大技術である。
しかし、その特徴を維持できるのは1代限り。異品種どうしの交配から生み出されたものなので、実った2代目の種を蒔いても特徴の再現性がない。
在来品種は、受け継がれてきた種類の中から理想的に育った個体を代々の親に選び、特徴を固定化してきた品種である。形質はややばらつくが、最終的にはその土に最も合った個体が適応して残るのでたくましい。
「僕が種採りを始めた理由は、有機や自然栽培に向いた品種を見いだしたかったからです。肥料がF1品種ほどいらない。あるいは無農薬でも病気に強い。種を採り続けながら理想的な野菜を探してきたのです。でも、最近は考え方が少し変わってきました。種採りの着地点とは、味の多様性を守るということだと思うのです」
改良技術の向上で、高糖度品種が急増している。野菜は甘いほどおいしいとするそんな風潮に、岩崎さんは違和感を覚える。味は栄養バランスの結果であり、生命力そのもの。甘さへの迎合は、人間本来の味覚に影響するのではないかと危惧する。
「いま、日本人の舌はかなり鈍感になっていると思うんですよ。酸味や苦みのような地味な要素を評価できなくなってきている。野菜の役目が問われています」
とはいえ、岩崎さんはF1を否定しているわけではない。危ぶんでいるのは二者択一式の思考だ。多様な価値観を認め合うことは、鎌のような素朴な道具の未来にも関わることだという。
取材協力/奥津 爾、田中遼平
文/かくまつとむ 写真/大槗 弘
※ BE-PAL 2016年7月号 掲載『フィールドナイフ列伝 24 種採り農家の鎌』より。
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