DAY 10【Colburn Hall to Danby Wiske 総距離22km】
前日、テントポールが壊れたのだが、キングとプリンスがイギリス版100円ショップに連れていってくれた。そこで手に入れた自撮り棒を分解しテントスリーブとして代用した甲斐あり、テントポールは折れることなく朝を迎えることができた。
そんな救世主のような彼らは、今日の目的地に車を回しに行かなければならないので、早めに出発するという。
二人の計画は私たちよりも一日早く歩き終える設定なので、おそらく、もうルート上では会う可能性はほぼゼロに近い。あらためて、感謝と別れを告げる。
「次、イギリスに来た時は、ストーンヘッジを見に来がてらうちに泊まりにおいでな!」とどこまでも温かいキングとプリンスだった。そんな二人と犬達を送り出し、私たちは、ゆっくり撤収し、パブで朝ご飯を頂くことにした。
私たちは肉と乳製品を食べないので、パブのオーナーにはベーコン、ソーセージ、卵を抜いてもらったイングリッシュ・ブレックファストを出してもらう。定番のソテーされた、シャンピニョンマッシュルーム、焼きトマト、インゲン豆をトマトソースで煮込んだ、ベイクドビーンズとハッシュドビーフが皿にひしめく。正直、溢れんばかりの豆には少し飽き飽きしてきたが、やはりできたてホヤホヤは美味しい。これにさらにオレンジジュースと食パンが付いてきて、ついつい食べ過ぎてしまい、朝からお腹がはち切れそうになる。
10時半頃、のそのそと出発する。Colburnの小さな村を抜け、昨夜、パブでも話題に上がっていた。
フットパスが途中で閉鎖されているセクションに近づこうとしていた。A1モーターウェイの高速道路工事の影響で、フットパスは中断され、迂回ルートを行かなければならないのだ。
迂回ルートがわかりづらく少し迷っていたところ、ちょうど颯爽と朝の散歩をしていたおじいちゃまが後ろからやってきたので、伺ってみた。すると、快く道案内を申し出てくれた。
70代半ばのレイは奥様に数十年前に先立たれ、それ以降はウォーキングクラブに入り、夜はしょっちゅうナイトクラブで夜を踊り明かしているという。「踊っていると楽しくて時が経つのを忘れ、5時頃から朝の2時頃までずっと踊りまくることもあるくらいだよ!」という。だから、僕はまだこのようにピンピンしているんだよ!と話してくれた。
道路工事現場の横の迂回ルートを歩いていると、工事が遅れている理由が張り出されていた。どうやら土地を掘っていたところ、ローマ時代の壷の一部が出てきたことで、工事にストップがかかり想定していたより時間がかかっているようだ。
村が出ると、またまたのどかな牛の放牧地が続く。
「この牧草地には牛、子牛、そして雄牛がいます。よって端を歩き、犬の糞は持ち帰るように」との注意書き。
牛が襲ってくることはまずないが、牛にじーっと見つめられると、まるでガンをつけられているようだ。攻撃された人がいる話は聞いたことがないが、やはりドキドキしてしまう。
遠くで激しく雨が降っているのが見える。どうかこっちに来ませんようにと願いつつペースを早めるも、のどかな田園風景に心癒される。
縞模様の絨毯に見える農地。
地元の人に元気に挨拶すると返してくれる笑顔によってホッコリとした気分になる。
まるでトムソーヤの冒険に出て来そうなツリーハウス。
マカロンのような牧草ロール。
しばし休憩がてら、座っていると、のどかで癒しキャラのヤング・ニールが追いついてきた。
少しお腹がぽっこりのヤング・ニール。てっきりビールの飲み過ぎがたたって、先日、キャンプ道具をデポしたのだと思っていたが、実は最近、大きな手術を終えたばかりだったのだと話してくれた。まだまだ体力は万全ではないのに、C2Cにチャレンジをしただけでも実はスゴイことだったのだ。
泊まる場所は例え違っていても、目指す方向が同じなので、追いついたり、追い越したりする中で、何度も同じ人に会うことができ、お互いの絆が深まっていくのがやはりC2Cの醍醐味と言える。
今日のゴール!
まだ時計は15時を回って間もなかったが、今日は通常よりも早く切り上げ、Danby WiskeのパブWhite Swanの裏庭に宿泊することにした。一方、ヤング・ニールはエールを一杯だけ飲み、さらに14.5km先のIngleby CrossのB&Bに向かった。
Snow Storm in Summerという名前のエールビール。苦味とフルーティさのバランスがよく、少しスパイスが効いて味だという。
私たちはパブの裏庭にテントを張り、夕食時間まで近所をぶらりと散歩することに。
パブより歩いて5分ほどの場所にある、11世紀に建立されたDanby Wiske教会を訪れた。
ケルト十字のお墓。
C2Cを考案したウェインライトは当時、この村はあまりに「つまらない」というので、立ち寄るに値しないと書き、大ひんしゅくをかったそうだ。確かに教会に訪れたあとは、他に店があるわけでもなく、 静かで小さな村だったので、逆に芝生の上でヨガをしたり、ぼーっとするなどし、個人的にはゆっくり休めたのがかえってよかった。
夜ご飯時となり、腹ぺこ状態で、パブに行き、隣のテーブルに座っていた、同じくC2Cを歩いていた中高年の女性2人組と話をする。
みなの共通の関心は、明日、いよいよ全ルートの中でも、最も危険箇所とガイド本などで表現される、走って通過しなければならない高速道路についてであった。すると、食事中に携帯がなり、見ると、ヤング・ニールからメッセージが入ってきた。ちょうど、話題に上がっていた危険箇所を 彼は一足先に渡り終えたところだったのだ。
「いやー、本当にヤバかったよ!」と書いてある。
「ちょうど夕方のラッシュアワーで、すでに僕の足は重く、思ったように早く走れず、横断中に大きなトラックにクラクションを鳴らされながら轢かれそうになって恐ろしかったよ。とにかく明日は二人ともできるだけ早く走って気をつけてね!」といった内容だった。
それを読み、みな青ざめた。こうなったら体力をしっかり付けておかないと、これが本当の最後の晩餐になるね、と半分冗談、半分本気で、明日に備えるつもりで今夜もガツガツ食べたのだった。
(実際歩いた距離22km、万歩計30,633歩)
写真・文/YURIKO NAKAO
プロフィール
中尾由里子
東京生まれ。4歳より父親の仕事の都合で米国のニューヨーク、テキサスで計7年過ごし、高校、大学とそれぞれ1年間コネチカットとワシントンで学生生活を送る。学生時代、バックパッカーとして世界を旅する。中でも、故星野道夫カメラマンの写真と思想に共鳴し、単独でアラスカに行き、キャンプをしながら大自然を撮影したことがきっかけになり、カメラマンになることを志す。青山学院大学卒業後、新卒でロイター通信社に入社し、英文記者、テレビレポーターを経て、2002年、念願であった写真部に異動。報道カメラマンとして国内外でニュース、スポーツ、ネイチャー、エンターテイメント、ドキュメンタリーなど様々な分野の撮影に携わる。休みともなればシーカヤック、テレマーク、ロードバイク、登山、キャンプなどに明け暮れた。2013年より独立し、フリーランスのカメラマンとして現在は外国通信社、新聞社、雑誌、インターネット媒体、政府機関、大使館、大手自動車メイカーやアウトドアブランドなどから依頼される写真と動画撮影の仕事と平行し、「自然とのつながり」、「見えない大切な世界」をテーマとした撮影活動を行なっている。2017年5月よりオランダに在住。
好きな言葉「Sense of Wonder」
2016 Sienna International Photography Awards (SIPA) Nature photo 部門 ファイナリスト
2017 ペルー大使館で個展「パチャママー母なる大地」を開催。