伊勢神宮や真珠、伊勢うどんなど、たくさんの名所や名産品がある三重県伊勢市。伊勢神宮外宮の近くでは、「大豐和紙(たいほうわし)工業株式会社」が、「伊勢和紙」をつくっています。
◎大豐和紙工業株式会社(三重県伊勢市)
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三重県唯一の和紙製造会社
大豐和紙工業は、三重県内でも唯一の和紙製造会社。つくった紙は、主に伊勢神宮のお神札(おふだ)の紙として使われています。
「お伊勢さんのお神札は江戸時代には『お祓い大麻』と呼ばれ、神宮の門前町である『宇治』や『山田』で活動した御師(おんし)と呼ばれる人たちがこしらえて、全国の檀家に届けていました。明治になって御師の制度が廃止されて神宮がお神札を奉製するようになり、それに応えるかたちで興ったのが、今日につながる『伊勢和紙』です。うちの会社は、明治32年(1899年)に、伊勢和紙をつくっていた3社が合同して創立されました」
と、大豐和紙工業の代表取締役である、中北喜得(なかぎた・よしえ)さん。
和紙の原材料は、「コウゾ(楮)」「ミツマタ(三椏)」「ガンピ(雁皮)」「バショウ(芭蕉)」「針葉樹」と大きく5つ。このなかから、1つ、ないし2つの繊維を混ぜ合わせます。手漉きと機械抄きの両方を手掛けている大豐和紙工業では、コウゾとミツマタ、ガンピは手漉き、針葉樹は機械抄きに。バショウはどちらにも使います。
「ミツマタはどこを見ても枝が3つに分かれているでしょう。コウゾも、葉が特徴的な形をしているからわかりやすいです」
と、中北さんは「花壇」に生えている2種類の木を見せてくれます。
ときには子どもたちを対象にワークショップを開き、和紙漉きや、和紙を使ったしおりづくりを楽しんでもらっていて、この花壇の木を切って原料にすることもあるそうです。
「コウゾを根本からスポンと切るので、収穫は1年に1回こっきり。でも、3月〜4月頃には切り株から芽が出てきて、夏には3mから4mほどにもなります。成長が早いから、日本の紙漉きは自然を破壊しないんですね」
和紙は、「漉き舟」と呼ばれる槽に水を張り、そのなかに繊維を入れて分散させ、簀を嵌め込んだ桁(これを簀桁:すけたと言います)で漉き、乾燥させる、という工程を踏みます。ワークショップでは乾燥前にシャワーを使う「落水紙」をつくることもあります。型紙を使えば、市松や麻の葉、青海波の模様をつけることも。
「コウゾ」「ミツマタ」「ガンピ」「バショウ」「針葉樹」それぞれの繊維は、長さ・太さや緻密さ・柔らかさが異なるので、繊維の配合や漉き方を変えたり、模様をつけたりすることで、バリエーションがだんだん増えていきます。別の素材を漉き込むこともできるので、和紙の可能性は無限に広がります。
たくさんの先人の工夫が詰まっている和紙の製造工程
大豐和紙工業の敷地内には、製造を行う工場や、物販なども行う「伊勢和紙館」、和紙を使った写真や書画作品を展示する「伊勢和紙ギャラリー」があります。
工場では、実際に紙を漉いている様子を見学させていただきました。
まずは、工場に届いた繊維の茶色い部分を、丁寧に削り取ります。大豐和紙工業では、コウゾを高知から、ガンピは石川から、ミツマタは岡山から仕入れているそうです。
次に、繊維を水につけてやわらかくし、釜で煮熱してバラバラにほぐします。「煮るとやわらかくなるのは、キャベツと一緒ですね」と中北さん。分かりやすく解説してくださいます。
柔らかくした繊維は、洗ってチリや不純物を取り除きます。それを細かく砕いて水を張った漉き舟に入れ、「トロロアオイ」という植物の根を砕いて絞り出した「ノリ」を入れて、いよいよ紙を漉いていきます。
最初は簀桁で繊維を分散させた水を汲み込んで、前後に揺らした後あまった水を捨てます。その後、また汲み込んで、今度は左右に揺らした後に水を捨てる、という工程を繰り返し、ちょうどよい厚さになったところで、漉き上がった紙を紙床(しと)に伏せ、1枚ずつ重ねていきます。
水にノリが入っているのであれば、紙同士がくっついてしまうのでは? と思ったのですが、「ノリ」とは言っても専門用語のようなもので、水に粘りを加えるため使っているのだそうです。
「この粘り気が繊維を包み込み、繊維同士が絡まらず水中でよく分散するのです。このおかげで、紙が平らに漉きやすくなるのです。味噌汁にオクラの汁を入れると、底に溜まっていた味噌が均一に広がるでしょう。紙を漉くのも、同じ原理です。もともと粘りを持つガンピは紙を漉きやすかったので、それを他の繊維でもできるようにした、という先人の工夫です。こうした工夫が積み重なったものが、伝統と呼ばれているのですね」
ノリには、水と調和し圧搾で水とともに流れ出る、乾燥の過程で熱に負けて分解される、などさまざまな要件があります。今では、化学ノリも代用品として開発されましたが、それも良し悪しがあると言います。紙漉き職人の長谷川さん曰く、トロロアオイからつくったノリは、夏場は雑菌が繁殖しやすく、粘り気が安定しなかったり、時間が経つとアクが出て紙の色が変わってしまったりする難しさがあるのだとか。「管理が難しくないのは化学ノリですが、水中に繊維を分散させる働きにより優れているトロロアオイのノリのほうができあがりがきれいですね」(長谷川さん)。
そもそもトロロアオイの根は秋に収穫されるもの。「購入してから次の秋まで、工夫して保管しています」(中北さん)。
ここで、せっかくなので聞いてみました。もしアウトドアに行ったとして、その場にある材料で紙をつくることはできますか? と。
手軽な方法を探るのであれば、アミとワクがあればできるのではないか、とのことです。ほかには草や繊維が取り出しやすい流木などを石などですりつぶして乾かせば、紙っぽいものはできるのでは、泥を混ぜてみてもおもしろいかも! とのことでした(「紙」とは水中に分散させた繊維をすくい上げてつくるもの、と定義されるそうです)。
もうひとりの職人、中島さんが「試しにそこらの草をすりつぶしてみたんですよ」と見せてくださいました。
一通りの工程さえ分かれば、好きに紙をつくることはできますが、商品としてとなるととても難しいそうです。均一な厚さを維持するには体で感覚を覚える必要があり、もしそれが完璧にできたとしても、万が一ホコリやチリが混入してしまえば商品にはできず、夏場であれば水を求める虫がくっついてしまったりすることもあるのだそう。100枚漉いたとしても、そのすべてを商品として出荷するのは難しいのですね。
ちなみに、手漉きでは1枚ずつ出来上がりますが、機械抄きでは大きなロールとして完成されます。
時代に合わせて、インクジェットプリンター対応の和紙も
大豐和紙工業では近年、インクジェットプリンターに対応している和紙を製造・販売しています。振り返ってみると、お神札は昔、神主や神社の人が筆で神社名を書いて、印を押していました。それが時代を経て、手書きから木版印刷、活版印刷、オフセット印刷と変化していきます。
「お神札用紙として印刷と結びついた和紙を作ってきましたから、インクジェットプリンターが登場したとき、それに対応する和紙を漉くのは、『うちの仕事だな』と考えました」
インクジェットプリンターで使われるインクは、水性顔料ですが、墨ももともと水性顔料。インクと和紙の相性は、もともと良いものでした。「和紙とはにじむもの」というイメージがあった私ですが、実は日本の和紙はにじまない紙で、画仙紙などにじみを特徴とするものは中国で生産されていることが多いとのこと。
「にじむ紙をつくるのも、夢のひとつなんですけれどもね。伊勢和紙はにじむ性質は持っていないので、実はインクジェット対応でなくてもプリンターに使うことはできるんです。給紙でトラブルなくよりきれいに印刷するために、厚みの均一性や紙の腰、表面の毛羽立ちなどに気を配りながら漉いています」
この技術があって、インクジェットできれいに印刷できる和紙ができました。さらに、性質の違う繊維の配合を工夫して新しい和紙も開発しています。
この和紙を使って、近年、中北さんが取り組んでいるのは、伊勢和紙ギャラリーでの作品展です。
伺った日、伊勢和紙ギャラリーでは、写真展「第6回 伊勢和紙プリントの会・作品展」が行われていました。
「この展覧会は、2005年から始めたもので、今回は31名の会員から、51点の作品を展示しています。監修は、写真家の三輪薫先生。長らく使っていなかったこの建物の2階部分を『それではもったいない』と伊勢和紙ギャラリーに改装するアイデアをくださったのも三輪先生なんです」
入り口を抜け、階段を登ると作品がずらりと並びます。日頃から伊勢和紙を使った作品を制作してきた伊勢和紙ファンの方々だけあって、撮影者の感性と和紙のテクスチャ―や雰囲気が相乗効果を生んでいます。和紙の可能性、ここでも発見! です。
写真のいろいろな特徴を楽しむのと同時に驚いたのは、伊勢和紙に印刷された写真の発色の良さ。新しい和紙を開発したり、新しくプリンターを導入した時に「プロファイル」と呼ばれるデータを作成し、作品の印刷時にも適用しているのです。よりきれいな発色を目指し、EIZO株式会社が提供している色合わせソフトウェア「Quick Color Match」に協力して、伊勢和紙を対応紙に追加するなど、プリントの品質の向上にも力を入れています。
「オール三重の和紙をつくってみたい」という思い
中北さんは、「これまで、和紙を必要とする人に、良いものを届けるために紙を漉いてきました」と話します。その姿勢は、実際に伊勢和紙に触れることのできる「伊勢和紙ギャラリー」やワークショップ、「伊勢和紙館」に現れているように感じます。
そんな中北さんが想い描くのは、三重県産の原料を使った伊勢和紙を漉くこと。
「もともと県内に豊富な原料がなかったため、ガンピ、ミツマタ、コウゾ、それぞれの産地から送って頂いていますが、実は三重県内には、量はそんなに多くないものの、ミツマタやガンピの群落があるそうなのです。せっかく地元に原料があるのであれば、それで紙を漉いてみたいですよね」
取材中、中北さんは、サーファーでもある長谷川さんが海で拾ってきたという海藻や杉の皮を漉き込んだ和紙も見せてくれたり、和紙の歴史や工程についてとても丁寧に説明してくださいました。
普段の生活ではあまり馴染みがなくなってしまった和紙。種類の豊富さや手ざわりの温かみが魅力の一つですが、プリンターを使うことで、用途と活躍シーンがさらに広がったと感じました。書家や写真作家のなかには、「和紙があってこそ、この表現を実現できた」と言ってくれる人もいるそうです。お祝いやメッセージなど特別な場面だけでなく、普段使いする紙の選択肢の一つとして生活に取り入れていけたら素敵です。
今私たちが行うそのひとつひとつが積み重なり、例えば100年後など未来につながったときに「伝統」として残るのでしょう。