標高4500メートル、極限の高地への旅
インド最北部にあるチベット文化圏、ラダック連邦直轄領。その東部には、チベットのチャンタン高原に連なる、標高4500メートルに達する高地が広がっています。一年を通じて雨はほとんど降らず、空気は極端に乾燥していて、強烈な陽射しが降り注ぎますが、冬の寒さは非常に厳しく、マイナス20℃を下回ることも珍しくありません。
この荒凉とした極限の高地に、ハンレと呼ばれる小さな村があります。17世紀に建てられたチベット仏教の僧院、ハンレ・ゴンパがあることで知られている村です。もう一つ、この村を有名にしているのは、2001年に開設されたインド国立天文台の観測所。標高約4500メートルの澄み切った大気の中で、天文観測が行われているのです。
中国との未確定の国境に非常に近いという理由から、ハンレでは長い間、外国人の入域は許可されていませんでした。外国人旅行者の訪問が可能になったのは、2019年の春になってからです。この一帯への入域の際には、レーの旅行会社などを通じて、事前に入域許可証を取得しておく必要があります。
ハンレは、ラダックの中心地レーから南東に約250キロ離れた場所に位置しています。車をチャーターして訪れる場合、主にインダス川沿いの道を進みますが、路面状態は場所によってはかなり悪く、ほとんど丸一日かかってしまいます。多くの旅行者は、途中のニョマという村に泊まり、そこから日帰りでハンレまで往復します。
遊牧民と家畜と野鳥の暮らす世界
この一帯には、今も約100世帯の遊牧民が暮らしています。彼らは、自在に移動できるテントで主に寝起きしながら、1世帯あたり400〜500頭ものヤギや羊、数十頭ものヤク(毛長牛)を飼っています。ヤギの首元から穫れる柔らかい毛はパシュミナと呼ばれ、高品質な毛織物の材料として高額で取引されるのです。
ハンレのすぐ近くの湿原で、オグロヅルのつがいに遭遇しました。彼らは夏になると、この一帯に飛来します。この旅の途中で何度かオグロヅルを見かけましたが、ほぼ常に、つがいで行動していました。
最果ての僧院で捧げられる祈り
ハンレ・ゴンパは、17世紀頃、ラダック王国の最盛期に君臨していたセンゲ・ナムギャル王により建立されたと言われています。険しい山々を背景に屹立する白亜の建物が、少し傾いた日射しに美しく照り映えていました。
ハンレ・ゴンパに所属する僧侶たちは、ほとんどがハンレの村か、ニョマなど近辺の村々の出身者だそうです。僧侶たちの生活は、村人たちからのお布施や農作物の奉納などによって支えられているのだとか。
堂内には、古色蒼然とした仏像が並んでいます。下の写真の右奥にある壁の内側には、この僧院にとって非常に重要な秘仏が納められていると言われています。完全に壁に遮られているため、人の目に触れる機会はまずないでしょう。
ハンレ・ゴンパを建立したラダック王国のセンゲ・ナムギャル王は、17世紀半ば、外地での戦争からラダックに戻る途中、このハンレの地でその生涯を終えました。王の遺灰を納めたチョルテン(仏塔)は、今もハンレ・ゴンパの建つ岩山の中腹にあり、村の人々の暮らしを静かに見守っています。
究極の星空に会える場所
ハンレにあるインド国立天文台の観測所には、口径約2メートルのヒマラヤン・チャンドラ反射望遠鏡のほか、ガンマ線望遠鏡などによる観測が行われています。観測を妨げないように、日が暮れると村人たちは家の窓のカーテンをぴっちりと閉め、灯がなるべく漏れないようにしているそうです。
夜、再びハンレ・ゴンパを訪れると、センゲ・ナムギャル王のチョルテンの上に広がる漆黒の空には、信じられない数の星々が、さんざめくように瞬いていました。
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彼らは確かに、そこで、生きていた。氷の川の上に現れる幻の道“チャダル”を辿る旅。 インド北部、ヒマラヤの西外れの高地、ザンスカール。その最奥の僧院で行われる知られざる祭礼を目指し、氷の川を辿り、洞窟で眠り、雪崩の跡を踏み越える“冬の旅”に挑む。人々はなぜ、この苛烈な土地で生きることを選んだのか。極寒の高地を巡る旅を通じて“人生の意味”を問う物語。