カルシャの村で穏やかな休日を過ごした僕たちは、これまでの道程を引き返し、再びチャダルを歩き始めました。きつくても、この道を進まなければ、どこにも辿り着けません。時には膝まで埋もれる重い雪の中を、僕たちは黙々と歩き続けました。
晴れた日のチャダルは、何もかもが白銀にまばゆく光り輝きます。サングラスの類をしていなければ、目を痛めてしまいかねないほどの陽射しと反射の強さ。まさか、こんなに寒い場所で、毎日のように日焼け止めクリームを顔や耳たぶに塗るはめになるとは、想像もしていませんでした。
油断ならない危ない行程も続きます。オーバーハングしてせり出した岩壁の下がほんの申し訳程度に凍っている場所を、荷物を下ろして腹ばいになり、匍匐前進をしながら切り抜けます。こんな場所に出くわしてもさほど動揺しなくなってしまったのは、我ながらどうなんだろう、と思いましたが。
薪を手に入れやすい川岸の開けた場所での昼食。チャダルパ(チャダルの男)たちはみな、この道程のどこに寝泊まりできる洞窟があり、どこで薪が手に入るのかなど、すべてを把握しています。
最近はインドの旅行会社が送り込む非常に大きなグループのチャダルツアーが増えたのですが、貴重な薪を必要以上に浪費したり、大量のゴミを投棄したりするマナーの悪いグループも多く、地元のザンスカール人たちからは抗議の声が上がっています。こうした場所でちょっとした焚き火をするのも、今では次第に難しくなっているそうです。
往路ではあれほど苦労させられた難所のオマは、川の凍結がかなり進んでいて、今度はそれほど危ない思いをすることもなく、すんなり通り抜けることができました。危険な、でもそれゆえに美しい場所です。
旅も終盤にさしかかった頃、ある日の朝、別のグループの男たちが氷の状態の悪い場所を越えてから僕たちのいた洞窟にやってきて、濡れて凍りつきはじめた靴や靴下を、焚き火にかざして乾かし始めました。チャダルをよく知るザンスカールの人々でも、体力のない人や装備が不十分な人、あるいは油断してしまった人は、重い凍傷にかかって手足の指を失うこともあるそうです。
この地域ではしばらく前から、ラダックの中心地レーとザンスカールを直接つなぐ道路の工事が、ザンスカール川に沿って実施されています。完成までにはまだしばらく時間がかかりそうですが、その道路が開通したら、ザンスカールの人々は、真冬でもチャダルを旅する危険を冒すことなく、車やバスを使って外界との間を行き来できるようになります。それはザンスカールの人々にとって喜ばしいことなのは確かですが、道路の開通によってもたらされる急激な開発の波が、ザンスカールの穏やかな社会に良くない影響を及ぼさなければいいが、とも思います。
外部から訪れた旅行者向けのトレッキングルートとしてのチャダルは、これからも残り続けることでしょう。ですが、本当の意味でのチャダルパたちによるチャダルの旅は、もしかすると、そう遠くないうちに失われてしまうのかもしれません。
【氷の回廊チャダル1】
【氷の回廊チャダル2】
【氷の回廊チャダル3】
山本高樹 Takaki Yamamoto
著述家・編集者・写真家。インド北部のラダック地方の取材がライフワーク。2016年3月下旬に著書『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々』の増補新装版を雷鳥社より刊行予定。
http://ymtk.jp/ladakh/