町田康の初期小説のような毎日を送っています。
マッサージ師になったわたしは、派遣されたお店でひたすら待機している。完全歩合制、待機の時間は無給なので、7時間いて1500円の給料の日もある。思わず帰り道に鬼ころしを飲んでしまいそうになるが、家に帰って寝る。
そんな中、愛猫タラの一周忌の日がやってくる。
あれからもう一年なのか。あの日はとても晴れていて、もう動けなくなったタラを抱いて、家の隣の公園に行ったんだった。木々には緑色の若い葉が生い茂って、新しい色を加えたばかりの絵のように爽やかだった。あー、もうこんなに夏なんだな、と思った。
わたしはタラを抱いてベンチに座っていた。風が吹いて、葉が揺れて、サワサワと音を立てていた。太陽の強い光が幾分かろ過されて美しい木漏れ日になり、わたしとタラに注いでいた。
タラを見て、気持ちいいねえ、と話しかけた。タラは目を細めてそうだねと答えた。わたしは別れを意識した。
その時、なぜか、ある映画のことを思い出した。テレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」だ。公開時に全く理解することができず、途中いら立ちすら覚えながら、呆然と眺めるしかなかったあれを、なぜか思い出して、ああ、こういうことだったのかなと瞬時に理解したような気がした。死を前にして光に包まれる恍惚みたいなものが、タラの表情にはあり、わたしはただひたすら彼女に寄り添うことだけを考えていた。
もう帰ろう、とタラが言った。
あれからもう一年か。
一周忌の日は、昼にタラの眠る深大寺へ行き、夜は近所の喫茶店JUHAで演奏をした。演奏会のタイトルは「白い花びら」だった。とてもいい日だった。つらい毎日の中にふっと現れたいい日だった。
白い花びらは、自分の中では、タラを葬る棺の中にしきつめたかすみ草のことだ。せめてかすみ草を家に買って帰れるくらいの生活はしたいものだ。
というわけでわたしの生活/マッサージ師編はもう終わりかもしれない。さて何をしよう。
<井手健介>
1984年3月生まれ 宮崎県出身。
東京・吉祥寺「バウスシアター」のスタッフとして爆音映画祭等の運営に関わる傍ら音楽活動を始める。
2012年より「井手健介と母船」のライヴ活動を開始、不定形バンドとして様々なミュージシャンと演奏を共にする。
2014年夏、「バウスシアター」解体後、1stアルバムのレコーディングを開始、2015年8月、待望となるファーストアルバム『井手健介と母船』をリリースした。