春の陽気と満開の桜とそぞろ神に誘われて、歩く旅に出かけた。
わが八ヶ岳山麓は密閉、密集、密接とは無縁の環境だ。田舎の人々は車で移動するから、道を歩いている人はほとんどいない。公共交通機関を使って遠くへ出かける気も起きなかったので、自宅から犬のセンポを連れて気ままに歩き出した。いわば犬の散歩の延長のような旅である。
25年前に移り住んで以来、車で数限りなく通っている地元の道だけど、歩いたことがない道がたくさんある。車で通って見慣れたはずなのに、ゆっくり歩くと見えてなかった景色が目にとまり、ささやかな感動をおぼえる。この時期、こうやって畑の手入れをしているのか、この家はこんなふうに木を植えて庭づくりをしているのか、というように新発見や再発見が連続する。
土地勘があるから地図を持つ必要がない。そのスタイルも新鮮だった。気の向くまま寄り道しても、どの道をどう行けばいいか見当がつく。ときにセンポに行き先を委ねたりもして、南に向かってのんびりと歩き、桃の花が咲き出した桃源郷の道(新府という地域に桃の畑を渡り歩ける道があるのだ)を通って、釜無川に出た。
甲府盆地はソメイヨシノが満開だった。桜吹雪の舞う道をセンポと歩く。風に舞った花びらがセンポの鼻についた。何も気づかず、キョトンとしているセンポが愛らしくてたまらない。
宿泊はいつものテントだ。広い河原にはテントに適した場所がいくらでもある。流木もあちこちにあって、ちょっと歩けば一夜の焚き火を楽しむくらいの薪はすぐに集まる。眺めのいい場所にテントを張り、日が暮れてから流木の焚き火をはじめた。
歩き疲れたセンポは僕の傍に横たわる。その温もりを感じつつ、焚き火を眺める。幸せなひとときだ。時計は見ない。焚き火が時計がわりだ。薪があと3本燃え尽きたらテントに入ろう。そう決めてセンポとともに静かに焚き火の時間を過ごした。
翌日は釜無川に沿ったサイクリングロードを歩く。サイクリストも歩く人もほとんどいないから、センポのリードをはずして、フリーで歩く。どこまで歩くか決めていない。日が暮れたら適当にテントを張って、焚き火をして今夜も空の下で眠ればいい。
歩く旅はすべてに自由だ。そういえば家を出てからお金を使っていない。人間は背負える荷物だけでどこでも寝泊まりができて、どこまでも歩けるんだ。
でも遠くまで行かなくてもいい。身近な場所でも、短い日数でも、充実した時間と達成感が得られることを、自宅からセンポと歩いた旅で再確認させてもらった。
その旅の詳細は次号のBE-PAL連載に詳しく掲載するとして、歩く旅の紹介ついでに新刊もアピールしておきたい。
『シェルパ斉藤の遊歩見聞録』はビーパル長期連載の『旅の自由型』の中から、歩く旅を厳選して加筆、修正した渾身の作品だ。東海自然歩道を踏破する旅から30年が経った僕の集大成といってもいい。
シンプルでプリミティブであるがゆえにワンパターンに思われがちな歩く旅だが、いろんなスタイルがある。本書は歩く旅を7つのスタイルに分類して章立てをした。
第1章は『山を歩く』
頂上に立つことを目的に山麓と山頂を往復する登山ではなく、同じ道を通らずに山の向こうへと進んでいくワンウエイの山旅。
第2章は『島を歩く』
上陸するだけでも達成感が得られる東京都の青ヶ島と、日本最後の秘境といわれるトカラ列島の歩き旅。
第3章は『村を歩く』
現存する日本全国の村を訪ね歩く『ニッポン村々紀行』シリーズから歩く旅が楽しめる5つの村を厳選。
第4章は『犬連れで歩く』
犬連れバックパッカーである僕が、4代目の旅犬センポと歩いた小豆島お遍路と、北海道の旅。
第5章は『被災地を歩く』
東日本大震災の被災地を1本の道でつなぐ、みちのく潮風トレイルを細切れで7年かけて歩き続けている軌跡。
第6章は『海外を歩く』
世界中の旅人が歩きにやってくる世界一有名なスペイン巡礼道の旅。
第7章は『長い道を歩く』
シェルパ斉藤としてのデビュー作である東海自然歩道を再び歩いた紀行文の書き下ろし。
本編以外にも、30年以上歩く旅を続けてきた僕ならではの書き下ろしコラムも掲載。
何かと窮屈で面倒な世の中だからこそ、本書を読んで歩く旅に出ることをオススメする。
歩く旅に出ると、前に向かって進む勇気と自信が湧いてくる。悩んだときも、行き詰まったときも、歩けば答えがみつかる。歩く旅は人生を豊かにする特効薬なのだ。
文・写真/シェルパ斉藤