地域に根づいたクラフトブルワリーを紹介するシリーズ第13回は、東京都の最西北の町、奥多摩にあるVERTERE(バテレ)。創立したふたりに都市部近郊のクラフトブルワリーの今と将来を聞いた。
初めての起業、固定費を抑えるために奥多摩へ
青梅駅からJR青梅線で30分あまり。終点、奥多摩駅から徒歩1分のところにVERTEREはある。古民家を改修したビアカフェとブルワリー。駅近でありながら、庭に出れば川のせせらぎが聞こえてくる。
VERTEREを運営するのは、辻野木景さんと鈴木光さん。ふたりは高校時代からの友人、大学もともに東京農大に進み、卒業後はふたりで起業しようと考えていた。ビール好きだったふたり。2011年、まだクラフトビールブームの時代ではないが、「クラフトビールは面白いんじゃないか」と、辻野さんは高円寺の麦酒工房に入ってブリュワー修行へ。鈴木さんは一般企業に勤務しながら事業資金の準備にかかった。そして3年後。ふたりは予定通り、クラフトブルワリー設立に動く。
当初はブルワリーを都心に構えたいと思っていた。が、当然ながら賃料は高額になる。「固定費はなるべく抑えたい」と場所探しをしていたところ、奥多摩に住む知人が「こっちはどう?」と声をかけてくれた。
辻野さんと鈴木さんはともに東京都内で育った町っ子。特に奥多摩に縁があるわけでも、田舎暮らしに憧れがあるわけでもなかった。それでも、奥多摩を訪れ、近くの河原でビールを飲むとやたらとおいしい。「こういう気持ちよさって大事だよね」。ふたりの意見は一致した。それから1週間後、奥多摩の知人から「駅前の古民家が空いてる」と連絡があった。
初めての起業。奥多摩でクラフトブルワリー……。事業として成り立つのか不安はあった。週末こそ登山やハイキング、サイクリングの人々で駅前は賑わうが、平日は日中も閑散としている。それでもふたりは奥多摩で起業することにした。都心よりざっと1けた違う賃料が若きブリュワーの背中を押した。
借り受けた古民家は、住居者不在になってから長年そのままになっていたらしく、屋内はぼろぼろ、庭はジャングルのように草木に覆われていたという。「水道、電気を引き直し、床も張り直しました」(辻野さん)という大改修だった。
東京から来たお客さんによる口コミ
ブルワリーの創業を機に、ふたりは奥多摩へ移住しようとした。当時すでに結婚していた鈴木さんは、町から町営住宅を紹介された。一方、まだ独身だった辻野さんは、町の入居条件に合わず、借りられなかったという。
古民家の改修期間中によく飲んだ居酒屋で、「住む家、ないんですよ」とこぼしていると、顔なじみになっていた客から「近くに空いてる小屋があるよ」と教えてくれた。おかげで辻野さんは、電気も水道も通った小さな家を借りることができたという。不動産屋のない町ならではのエピソードである。
2015年7月にビアカフェがオープン。「当初、ブルワリーが軌道に乗るまで3年は覚悟していた」(鈴木さん)が、VERTEREの評判は予想以上に速く広まった。
主なお客は登山客、サイクリングやキャンプ、ハイキングを楽しみにきた人たちである。それも都内や東京近郊の人がほとんど。その人たちが地元に戻って、ふだん通っているビアバーや酒屋で、「奥多摩にいいクラフトビールがあった」「VERTEREのビールがうまかった」などなどと話す。
クラフトビールのいちばんの消費地は、やはり東京である。都内の飲食店や酒販店からの引き合いが増した。もちろんビールの味の評価あってのことだが、奥多摩という東京圏内だからこその急成長ぶりではないだろうか。
「東京のビアバーのマスターが、お客さんからウチの話を聞いたと言って、わざわざ買い付けに来てくれたり。有り難いことです」(辻野さん)
では、奥多摩町のお客さんは?オープン当初は「この値段じゃねー(飲めないね)」という、当然といえば当然の反応がある一方で、「でもクラフト好きの人もいるし、移住組の人や若い夫婦とかが来てくれます。あと、福生の横田基地のアメリカ人の常連さんもいます」(辻野さん)と、そこはかとなく東京都らしさを感じる客層である。
奥多摩町は広い。大田区と世田谷区と足立区と荒川区を合わせたぐらい広い。けれどもクラフトビールの店は青梅市まで行かないとない。
「コロナ禍になって地元の人は減ってしまいましたが、近くのコンビニで買ってくれているみたいで」(鈴木さん)
コンビニに入荷されていることが、地域での評価を裏づけるている。
「先入観を持たれたくない」VERTEREの真っ向勝負
コロナ禍でビアカフェのお客さんが減ったにもかかわらず、VERTEREの販売量は増え続けている。毎週3種のビールをリリースするが、オンラインショップではほぼ即日完売する。今の課題は「需要に応え切れていない」ことだ。
昨年、タンクを増設し、現在500Lを6基、1000Lを4基、備える。それでもまだ足りない。週に3日は仕込んでいるから、あとは単純にタンクを増やすしかないのだが、現在のブルワリースペースはもう満杯。
「今、場所を探しているのですが。山なので、傾斜地なので、平地が少なくて……」と辻野さんは笑う。実際、ビアカフェの庭の先はすぐ崖である。
ブルワリー設備の増設にあたり、適所がなければ奥多摩を離れざるを得ないのか?と尋ねると、その可能性はあるとしつつ、「でも、奥多摩のVERTEREは残します。登山やサイクリングの方はここをゴールに来てくださるので」と鈴木さん。
すでに、奥多摩に遊びに来る人々のルートマップに入っている。なくなっては困る、という常連からの声。だがVERTEREは地ビール屋さんではない。地域にこだわる必然性はない、むしろ、こだわらないようにしているのがVERTEREの特徴かもしれない。年に100種もリリースされるビールのネーミングにも奥多摩を感じさせるものはない。
Hydrangea、Rhoeasなど、ビールの商品名には植物のラテン語を当てている。新しいビールができるたび、植物図鑑を広げてその中から選ぶ。といって、それがビールの原材料に関係しているわけではない。
「たとえば、ブドウのアロマのビールだからといって、ネーミングにブドウを入れてしまうと、飲む人は飲む前からブドウをイメージしてしまう。そのイメージ次第で味の評価が変わってしまう。なるべくそういう先入観を持たないで飲んでほしいので」(鈴木さん)
これまで醸造してきたビールは200種以上。麦芽、ホップ、酵母の主原料には何十、何百という種類がある。それらの組み合わせにより、また、発酵の温度を変えたり、時間を変えたりすることで、ビールの味は微妙に変わる。世界的なクラフトブームによって、ホップや酵母にも新種が増え続けているそうだ。無限に広がるビールの世界にVERTEREは挑戦しつづけている。
VERTEREという名もラテン語で、変化する/回転するという意味がある。都市郊外型ブルワリーの、次のステップはどこなのか。どのように変化していくのか。楽しみだ。
住所:東京都西多摩郡奥多摩町氷川212
http://verterebrew.com