新連載「現代の冒険者たち」始動!
もはや冒険はやり尽くされてしまったのでしょうか? 現代に冒険の意味はあるのでしょうか? 時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、 徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直したい──そんな思いから、BE-PALにて関野吉晴さんの新連載がスタートしました!
BE-PAL8月号掲載の第1回目は、『新・冒険論』の著者であり、BE-PALでも「エベレストには登らない」を連載中の角幡唯介さんとともに、「冒険とは何か」について考えます。その一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
角幡唯介/かくはた・ゆうすけ
1976年、北海道生まれ。『エベレストには登らない』を本誌連載中のノンフィクション作家、探検家。早稲田大学探検部OB。著書に『空白の五マイル』、『雪男は向こうからやって来た』、『極夜行』など。
1976年、北海道生まれ。『エベレストには登らない』を本誌連載中のノンフィクション作家、探検家。早稲田大学探検部OB。著書に『空白の五マイル』、『雪男は向こうからやって来た』、『極夜行』など。
脱システムとしての冒険
関野 角幡さんは、『新・冒険論』の中で、「脱システムとしての冒険」を唱えています。システムは、常識とか体制といった言葉に置き換えられるかもしれません。要は、既成概念にとらわれない行為のことですよね。
角幡 僕が脱システムを強調したのは、最近の冒険が山なら山、洞窟なら洞窟といったようにジャンル化して、それ以外の常識外れの行動、常識の枠を広げるような行動が少なくなっているような気がしていたからです。ジャンル化して優劣を競うと、方法論の固定化、商業主義化、スポーツ化に向かわざるを得ません。また、社会の風潮全体にも、決まったやり方にのっとるのが当たり前みたいな雰囲気を感じていました。『新・冒険論』では、「そうじゃないんだ。冒険というのはシステムの外側に飛び出すことなんだ」といいたかったんです。たとえば登山というジャンルで先鋭的な人は昔からいました。このような最先端の登山は、非常に危険なので冒険だと思います。しかし、今はあまりにもジャンル内行動が多すぎると思うんです。最先端の人は冒険をしているけれど、それ以外は画一的でマニュアル的になっている。もっと自由な発想で、山でもなければ川でもないといった冒険があってもいいのではないでしょうか。
関野 角幡さんは風船おじさんは冒険者だったと思いますか?
角幡 僕は冒険者だったと思いますね。風船をつけたゴンドラで太平洋を横断するというのを無謀だというのは簡単ですが、危険か無謀かは、つきつめれば外野の人間にはわからないからです。
この続きは、発売中のBE-PAL8月号に掲載! 「地球永住計画」の公開講座にて視聴することができます。
公式YouTubeで対談の一部を配信中! 「地球永住計画」にてノーカット版を公開講演
以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。
2021年7月17日 開催!
地球永住計画 公開講演「現代の冒険者たち」角幡唯介×関野吉晴
「地球永住計画」にて対談のノーカット版を視聴できる公開講演が開催されます。視聴には以下からお申し込みが必要です。
https://passmarket.yahoo.co. jp/event/show/detail/ 01nw5qvvwqr11.html
講演動画は配信終了後から3日間視聴可能です。予定のある方もお好きな時間にゆっくりお楽しみください!