笹の葉サラサラ〜は技術向上を願う棚機の祭り
織女星と牽牛星(日本では織姫星と彦星とも呼ぶ)が1年に1度、天の川を渡って会える七夕。織女星はこと座のベガ、牽牛星はわし座のアルタイル、ともに夏の夜空を代表する星座の一等星です。
白く輝くベガは全天で5番目に明るい恒星で、すぐに見つけられます。ベガが見つかったら、その東南に光る星がアルタイルです。
しかし、7月7日の夕べの時刻には、ベガとアルタイルはまだ東の空に上がったばかりで決して見やすい位置にありません。また、日本の多くの地域はまだ梅雨の最中です。なぜ、こんな時期に七夕をするのでしょうか?
実は、もともと七夕は旧暦(天保暦)の7月7日に祝う行事でした。これは現代の暦(グレゴリオ暦)では7月末から8月の間にあたります。最近では旧暦7月7日は「伝統的七夕」と呼ばれています。明治時代に旧暦から新暦に変わったことにより、行事の時期もズレてしまったのです。
旧暦は月の満ち欠けによる暦で、七夕とは「新月の日から数えて7日目の夕べ」という意味です。つまり旧暦の七夕はいつも半月の晩です。旧暦5月が夏至を含む月なので、夏至の日から2度目の新月の日(閏月が挟まれば3度目の新月の日)に旧暦7月が始まります。こうして決まる「伝統的七夕」は、今年は8月14日です。この時期、ベガもアルタイルも天高く上り、見頃です。
東洋では季節の変わり目である「節句」を奇数が重なる日(3月3日の「桃の節句」、5月5日の「端午の節句」など)に祝うことが多いのですが、7月7日も奇数が重なる日ということで選ばれたようです。
ところで、七夕は笹の葉に願い事を書いて竹に吊しますが、これは日本特有の風習で中国にはありません。織女星と牽牛星が一年に一度だけ会う七夕の物語は、遅くとも平安時代には中国から伝えられていたようですが、実はそれ以前から、日本固有の「たなばた」がありました。棚機と書く「たなばた」です。日本の「たなばた」は、機織りなどの技術がもっと上達するよう願いごとをする行事でした。それが江戸時代の頃から庶民に広がり、願い事一般をかなえてくれる日となっていたようです。「七夕(たなばた)」は当て字です。
ベガとアルタイルの間にある二重星アルビレオで落ち合う?
七夕伝説は、働き者だった織女と牽牛の結婚を、姫の父親が許したのですが、結婚後ふたりがあまり働かなくなってしまったので父親がふたたび引き離し、1年に一度、七夕の日だけ会ってよいことにした、という話です。
天文学的には、ベガ(織女星)とアルタイル(牽牛星)は一年に一度も会うことはできません。ふたつの星の間には約15光年の距離があり、天の川を行き来するとしたら片道15年、往復30年かかります。
町中では明るくて見ることはできませんが、ベガとアルタイルの間には天の川が流れています。そこを飛んでいるのが、はくちょう座です。はくちょう座の尾にデネブという1等星があり、ベガとアルタイル、デネブを結ぶと夏の大三角形になります。
ただ、七夕の注目はデネブではなく、はくちょう座のくちばしにあるアルビレオという星です。肉眼ではただの3等星に見えますが、望遠鏡では赤い星と青い星が隣り合う二重星です。その美しさは有名で、望遠鏡を買ったら初めに向けてみたい二重星として知られます。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』ではサファイアとトパーズと表現されています。
このアルビレオの位置が、ちょうどベガとアルタイルの中間くらいなのです。まるで織女姫と牽牛がここで落ち合ったかのような図に見えなくもありません。中間地点でも7年ほどかかりますが……。
七夕伝説発祥の地、中国では最近、織女姫と牽牛のラブストーリーにちなみ、七夕をバレンタインデーのように楽しんでいるという話も聞きます。日本では、七夕は天に願い事をする日です。
曇り空の日が多い印象の七夕ですが、7日が曇りでも、8月14日には伝統的七夕があります。新暦と旧暦、せっかく2回あるので願いごとも2回できます。仙台の七夕祭りは8月7日に行なわれるので、マックス3回、チャンスがありますよ。
構成/佐藤恵菜