“登山界のアカデミー賞”とも呼ばれる「ピオレドール賞」を受賞した、超一流登山家・花谷泰広さん。山岳ガイドでもあり、さらに山小屋運営も手がけるなど、その活躍は八面六臂。そんな花谷さんに、秋山の特徴や登山のリスクマネジメントの考え方、山小屋運営についてお話を伺いました。
第3回目は、花谷さんが運営する山小屋、甲斐駒ヶ岳の「七丈小屋」について伺います。~1回目はコチラ~~2回目はコチラ~
コロナ禍での山小屋運営
BE-PAL(以下B): コロナ禍になって、全国各地の山小屋さんが大変厳しい状況にあるという声が聞かれますが、七丈小屋も同じでしょうか。
花谷: はい、そうですね。小屋の定員をコロナ前の半分にしているので、そのぶんが減っています。去年に続き、今年の夏も厳しい状況だったのですが、今年に限って言うと、コロナの影響というよりも天気の影響が大きかったと思います。今年の夏は恐ろしいくらい天気が悪く、週末を中心にほぼ埋まっていた予約が、軒並みキャンセルになったりします。
B: 山小屋で行っているコロナ対策で大変と思うことはありますか?
花谷: 去年は初めてのことが多かったので、どこまで対策していいのか、そこのさじ加減が難しかったです。最初は対策に時間がかかりましたが、今では慣れて、普通になってきています。ある意味「ニューノーマル」なんだと思うんですけど。お客様も、シュラフを持ってくるなどの対策はきちんとしてくださっています。
B: これから寒い時期になってきますが、換気などはどうするのですか?
花谷: 窓を開けて、ストーブを焚くしかないですね。あとは室内でも防寒着を着てもらったり。換気ってよく言われますけど、湿度を保つこともけっこう重要みたいで、加湿や加温することも同時に考えている感じです。
B: 小屋に来る登山者の方にいちばんお願いしたいことはなんですか?
花谷: 事前の体調管理です。七丈小屋では当日でもキャンセル料はいただいていないので、当日、たとえ登山中であっても、何かおかしいなと思ったら帰ってくださいっていう話をしています。絶対に無理はしないでくださいって。そこに尽きると思いますね。日頃からの対策と、登山前の体調チェック。それをお願いするしかないですよね。
甲斐駒ヶ岳は3つの魅力が揃った山
B: 花谷さんが感じる甲斐駒ヶ岳の魅力を教えてください。
花谷: 日本の山は大きく3つの魅力があると思っていて、1つ目が「里山に密接にかかわる人間の生活・文化」。2つ目が「高山ならではのアルピニズム」。3つ目が「信仰」です。甲斐駒ヶ岳はこの3つが揃っているんです。日本の山を見た時に、2つが揃っていても、3つが揃っている山ってなかなかないんですよ。甲斐駒ヶ岳の場合、小屋がある黒戸尾根からは麓の町が見えて、空気が澄んでいるときには町の放送も聞こえてきます。3000m峰なのに完全に里山なんです。さらに信仰の歴史もある(※)。また、クライミング、沢登りと多様な楽しみ方ができるのも特徴で、最近ではトレイルランナーも見かける。ダイバーシティな山です(笑)。
※甲斐駒ヶ岳は1816年、江戸時代の行者・小尾権三郎(弘幡行者)によって開山。山頂には駒ヶ岳神社本宮(奥宮)が鎮座する。江戸時代末期には「駒ケ岳講」が盛んになり、人々の信仰を集めた。
“山岳資源を活かしたい”その思いが山小屋運営とリンク
B: 花谷さんが山小屋運営に携わったきっかけ、理由を教えてください。
花谷: 七丈小屋は、先代の管理人さんが20年運営していたんです。堅物の管理人さんなのですが(笑)、僕は珍しく気に入られて。管理人さんがいよいよ小屋を辞めたいので、誰かいないかって相談をしてきてくれたんですよ。そのときは、まあそんな人おらんやろなと思いながら聞き流していたんですけど、翌年また同じような話になったときに、「自分がやったら面白いかもな」ってふと思っちゃったんですよね。
B: それはどうしてですか?
花谷: 僕は、もともとクライミングをやりたくてこの北杜市に移住したんですけど、こんなに山やクライミングの環境がいいのに、それを資源として活かし切れてないなって思っていたんです。山を観光資源、自然資源としてもっと活かせれば、訪れる人や住む人も増えるだろうし、もったいないなって。それを自分なりに解決していこうっていう思いと、山小屋の管理っていう話が見事にリンクしたんです。
山小屋の所有者は北杜市ですから、山小屋運営によって市との関係性が深くなる。こういった問題を解決するには、行政とか地元の方とどう取り組めるかが第一にあると思っているのですが、僕は移住者、つまりよそ者ですから、そういった人間がこのコミュニティの中に入っていくにはこういった形が一番いいのかなと思って。
最初は山小屋に対する思い入れというよりも、この山岳エリアの資源をどう生かしていくのかっていう、そこから入っていったんです。
B: 花谷さんは「登山文化の継承」にも力を入れていらっしゃいますよね。その話ともつながってきますか。
花谷: “継承”っていうところでいうと、いろんなことについてひずみがあると感じていて、僕がヒマラヤキャンプ(※)を始めた理由にも関係してきます。今は山岳会など、登山を教わる場所がなくなってきています。登山仲間は比較的SNSなどで見つけやすいんですけど、そこから指導してくれる人がいなかったり…。そこで結局、登山文化が途絶えていきます。
登山道にしても、今までは地元のボランティアの人や地域の山岳会が活発だったから維持されていたと思うんですけど、今は高齢化が進んで、組織がなくなったり人がいなくなったりで、手が入らなくなってきているわけです。それで地方の山では登山道の維持管理が難しくなってきてるのが現状かなと思っています。
※ヒマラヤキャンプ:花谷さんが2015年から主宰している、若い登山家とヒマラヤの未踏峰に挑むプロジェクト。
山の維持管理の新しい仕組み作り
花谷: 山の維持管理については、やっぱり仕組みから変えていかないとって。「継承」は、歴史を知った上で、今なりのやり方や発想に変えていく必要があると思うんです。これまでのように地域の人が地域の山を守らなきゃいけないっていうものでもないと思います。例えば甲斐駒ヶ岳の場合は、日本中からこの山が好きな登山者が来ます。それなら、そういう人たちを巻き込んでやった方が効率いいですよね。
お金についても、火の車状態の地方財政で、人口の1割にも満たない登山者のためにお金は出せないわけですよ。そしたらやっぱり北アルプスで試験的に行われている協力金のような形になるんじゃないかなと思うんです。
B: コロナ禍での山小屋支援のクラウドファンディングでも多くの資金が集まりましたよね。
花谷: そういう部分に対する登山者の皆さんのパッションってすごく熱いと思うので、みんなでちょっとお金と労力を出し合うだけで、意外と大きな部分は解決してくれるんじゃないかなと思っています。
でも、そのいっぽうで受け皿が業界にはなかったりするわけです。熱い思いがある人がいるのに、その人たちが活躍してもらうような場所が、まだ用意できていないのかなと思っています。僕は、そこはぜひ色んな方の力を貸してもらいたいと思っていて、山に携わっている人間として、その場所を作っていきたいと思うんです。
B: 登山の世界で広い人脈や実績があり、かつ今は山小屋という一つの拠点をもつ、そんな花谷さんだからこそできることのような気がします。
花谷: もともと山小屋運営をやったことがないので、いわゆる山小屋的な常識がないんですよね。山小屋が登山道整備をして当たり前みたいな感じの風潮もありますけど、僕はそもそも登山道整備と山小屋の運営は分けた方がいいと思ってるんです。小屋の運営者と、登山道を直す人が個別にいて、それが協力関係にあるっていうことが大事だと思います。小屋の人が登山道管理もやるっていうのはそもそもちょっとおかしな話じゃないかなと思っていて。山小屋の値段を上げて登山道を維持するっていうのも、どっちかというと反対なんですよね。
B: すごい。考え方が新しいですね。
花谷: 新しいというわけではないですけど(笑)。山小屋の値段を上げて山小屋の収益を確保し登山道をキープするところまで持っていくというのはもう無理なんじゃないかなと思っていて。そもそも、それも今までの仕組みを担保するために値段を上げようとしているわけで、だからその仕組みを変えてしまえばいいんじゃないかって思うんですよね。
B: なるほど。これから花谷さんが山小屋を軸に展開していく取り組みが楽しみになってきました。花谷さんのご活躍に期待しています。また、魅力あふれる甲斐駒ヶ岳と、七丈小屋にもぜひ行きたいです。
花谷: はい、ぜひ小屋にいらしてください(笑)。
取材・文=横尾絢子
プロフィール
花谷泰広(はなたに・やすひろ)
1976年兵庫県生まれ。幼少から六甲山で登山に親しむ。1996年にラトナチュリ峰(ネパール ・ 7035m)に初登頂。以来、世界各地で登山を実践。2012年にキャシャール峰(ネパール・6770m)南ピラー初登攀で、ピオレドール賞を受賞。2015年より若手登山家養成プロジェクト「ヒマラヤキャンプ」を開始、2017年より甲斐駒ヶ岳黒戸尾根の七丈小屋の運営を開始するなど、国内外で幅広く活動中。(日本山岳ガイド協会認定・山岳ガイドステージⅡ)