世界的な聖地・パワースポット、セドナに住んで24年になる写心家・NANAさんは、セドナの大自然をガイドしながら、住んでいる人だけが触れられる四季折々のセドナの大自然を写真に収めています。 NANAさんが大切にしている「アスキング・ルール」は、リスペクトを持って人にも自然にも尋ねて、その答えを大切にして行動すること。「アスキング・ルール」は、なぜ人や自然とつながることができるのでしょうか?
――人とも自然ともつながりにくいステイホームの時期は、精神的にも身体的にもストレスがありますが、どう解消したらいいんでしょう?
NANA 緊急事態宣言が続いて家にこもっていると、確かに心身ともにストレスを抱えやすくなるかもしれないですね。テレビのニュースを見ていると、世界がその情報を中心に回っているように思えて、気持ちが沈んだり不安になったりして、体にも影響が出ることもあるでしょう。そういう意味では、「私たちは意識(マインド)が作り出している世界に住んでいる」と言えるかもしれないですね。マインドが作り出した世界はヴァーチャルだけど、私たちは、その世界をリアルだと思って暮らしているんです。ですから、ストレスから開放されるには、まず「現実の中で目覚める」ことが必要かもしれませんね。
――「現実の中で目覚める」というのは、具体的にはどういうことでしょうか?
NANA 夢から覚めた時、「ああ、夢だったのか!」と思いますよね? 夢なら、「現実に起こったことではなかった」と、はっきりわかります。でも、今、私たちはテレビやインターネットなどの膨大な情報の洪水に巻き込まれて、目が覚めているのに、何が事実で何がでっち上げなのかわからなくて不安や恐怖に取り憑かれていると思うんです。つまり、現実の世界をきちんと見極めて現実の中で目覚めないと、簡単に洗脳されて自分のものでもないストレスを自分のストレスとして抱え込んでしまう可能性があるということです。そうして不必要なストレスにさらされてしまう可能性があるんですね。
先日、『ラダック 氷河の羊飼い』というドキュメンタリー映画を観ていたら、羊飼いの女性が何か月も一人っきりで、氷に閉ざされた高地で羊の群れを連れて、羊たちの食べ物を求めて1日に何時間も雪の中を移動していました。彼女は「体の具合が悪くても、自分が倒れたら羊たちは飢えてしまうと想えば病気も治ってしまう。だから、ほとんどの病は気からだ」と言っていました。今、私たちは具合が悪くなると、「もしや、コロナでは?」と想う人も多いかもしれません。用心するに越したことはないし、体のケアを怠ってはいけませんが、(テレビもインターネットもなくて)大自然でサバイバルしている人には情報がない。つまり、コロナの存在を知らない彼らにはコロナは存在していない。体調が悪くても羊たちのことを思って、「病は気からだ」と治してしまうかもしれないですね。その羊飼いには、自分の目の前のことだけが事実(ファクト)です。
私たちは、彼女より物質的にはずっと豊かで情報も多い世界に住んでいるけれど、現実の自分にとって事実(ファクト)が何なのか、情報の渦の中では見定められなくなっているのかもしれないと感じました。
――つまり、現実の自分のファクトを見定めがつけられないことが、ストレスの原因になっているんですか?
NANA ストレスと言ってもネガティブなものだけじゃないですよね。たとえば、歌手や舞台俳優は、観客の興奮や期待のエネルギーをポジティブなストレスに変えて、より素晴らしい演技をすることができます。アーティストじゃなくても、多くの人の前で話さなくてはならないような時、「自分に話せるかなあ」と思っても、その場に立つと、自分でもびっくりするくらい言葉がスムーズに出て来ることがあります。ストレスの良し悪しよりも、そのストレスが本当に自分自身のものなのか、そして、そのエネルギーにどう対処するかを見定めることが大切だと思うんです。
繰り返しになるかもしれませんが、自然と切り離された人工的な世界に身を置いていると、やっぱりストレスは、生きようという意欲よりも生きるのが辛いものになってしまうのかもしれないですね。ですから、人とも自然ともつながりにくい状況では、どんなことにどんな風に関わるかが大切なのではないでしょうか。
「自然と繋がる」と言っても漠然としていますが、私の場合は、乾燥した岩と岩の間から芽を出して花を咲かせている小さなサボテンの花を見つけたら、思わず「かわいいねえ。こんな乾燥しているところでも、綺麗に咲いてくれてありがとう」と声をかけてしまいたくなる。その時に、そのサボテンの花は自分の中で特別な存在になるでしょう。そうして、漠然としていた自然と自分との繋がりができるんです。
――自然と繋がりたければ、自分から具体的に自然と関わるのが大事なんですね?
NANA 風景を漠然と眺めている状態は何も見ていないのと同じで、サボテンも大自然も存在しません。私たちがサボテンの花に意識をフォーカスして初めて、私たちはサボテンの花と繋がって、そのサボテンの花という存在を通して自然とつながり、グレイト・スピリットとも繋がれると想います。何かひとつに繋がりを持てば、全体につながれるんです。
漠然と「環境問題は大変だけど、何をしたらいいかわからない」と実感を持てなかったとしても、一羽のアホウドリの雛のお腹がプラスチックでパンパンになって死んでいる写真を見たとするでしょう。その一枚の写真からそのアホウドリと自分の意識が関わることで、環境問題に具体的につながっていけるんです。一頭の海亀がビニールにひっかかってるのを見たら、「自分には具体的に何ができるだろう?」と環境について考え始めるのではないでしょうか。ですから、普段、自然を感じられなくなっている人たちが生命の感覚を取り戻すには、漠然と自然を見るのではなく、具体的に自分と自然との関わりを持つことが大切ではないかと思います。
――都会の人が自然とのつながりを持つにはどうしたらいいのでしょうか?
NANA やはり物理的に自然に触れるのが、一番早いと思います。都会にいても、街路樹もあるし、アスファルトの隙間から出てきたタンポポだって見かけるでしょう? それは頭で考えるようなことではなくて、もっと単純に、触れて、話しかけてみることです。どんなに小さな自然でも、繋がりを持つことで人間中心の世界から抜け出して、視野が広がっていきます。
セドナの石にはクリスタルの結晶がたくさん含まれているので、そこら辺に落ちているレッドロックの石でも、陽が当たるとキラキラしているんです。それで、日本からいらっしゃる方たちから、「セドナの石を持って帰ってもいいですか?」と聞かれることがありますが、そういう時に私は、「石に聞いてみて」と答えます。
以前、ネイティブ・アメリカンの長老に「アスキング・ルール」という考え方を教えてもらったことがあります。石に「私と一緒に喜んで来てくれますか?」と聞いてみる。石の声が聞こえるわけじゃないかもしれないけど、石を手に取って、胸に当てて石に聞いてみて、その石とその石があった大地、すべてと繋がってみる。その上で、その石が「いいよ」と言って許してくれている感覚があったら、それと交換に自分の一部を捧げる意味で、「髪の毛を抜いて、石のあった場所に置いて感謝を捧げてください」と、私はお伝えしています。その小さな石から、セドナの大地、ひいてはマザーアースと繋がりを持つことができるんです。でも、「わざわざ持って帰るための石を探さないでください」とも言っています。自然に石と目が合って、自分との繋がりを感じたら、という場合だけで、無闇矢鱈に石を持って帰ってもいい、ということではないんです。
――日本語で「考える」という言葉の語源は「交(かむ)かう」、つまり関わりを持つということだと聞いたことがありますが、それと似ている考え方ですね。
NANA そうですね。ある場所や誰かや何かと関わりを持った時に出てくる想いが「考える」ということなのかもしれませんね。そして、その相手が人であろうと、場所であろうと、物であろうと、リスペクトし合っている状態であるかどうかを確かめることが大切です。相手への尊敬の念はもちろん、自分の尊厳も守ることも大切です。
それは傲慢なことではなく、自分の命も自然界の一部としていただいている大切な命であることへの感謝です。そういう気持ちがあれば、どこかに行って「旅の恥はかき捨て」みたいな愚かな行為はしなくなると思います。今、セドナにも、インスタグラムやSNSで「イイね!」をもらうために、その場所やそこに暮らす人たちへのリスペクトなど全くない観光客がとても増えています。セルフィー写真は撮っても、その場所と自分の関係は築いていない。神聖な場所であっても、「イイね!」を増やしたいという理由で、聖地への行き方を平気でインスタグラムに上げたり、自分の名前を岩に彫ったり、危ない行為をしたり‥‥。自然へのリスペクトを込めた「アスキング・ルール」が全くありません。ネイティブの人たちは、自分たちが自然の一部だとわかっているからこそ、自然に尋ね、許しを乞い、感謝を捧げているんですが。
――ネイティブの人たちには、自然への「アスキング・ルール」が生きているんですね?
NANA 常にマザーネイチャーに話しかけ、許しを乞い、感謝を捧げることが、生活の中心にあると言えると思います。天気は天の気と書きますよね。自然の意思にリスペクトを払って感謝することは、父なる天、母なる大地と繋がりを持つことを意味します。私はホピの村からの帰り道で、よく虹に出会います。ホピではドライファームという、灌漑用水は一切使わずに雨水だけに頼る農業をしていますから、天候を司るカチーナ(精霊)たちへの祈りは欠かせないんです。そんな祈りを私たちもホピの地でさせていただくからか、ホピの帰り道で雨が降り始めて、大きな虹を見ることがままあります。乾燥した広大なアリゾナの大地で見る虹は、マザーアースからの贈り物をいただいたように感じます。それは自然との会話なんですね。ネイティブの人たちは、そういう自然が与えてくれる「サイン」を大切にしているんだと思います。だから、旅に出たら、そこで「写真を撮って終わり」じゃなくて、その土地や人々にリスペクトを持って、自分との繋がりを感じていただきたいな、と思います。
――確かに目的地に行って自撮りしたら、旅の目的を果たしたような気分の人もいるかもしれないですね。
NANA 私はこれまでいろいろな所へ旅をしましたが、以前は、写真に気を取られたら自分の感覚を研ぎ澄ませられないんじゃないかと思って、カメラと時計を持たずに旅をしていました。その頃は、写真で記録するよりも自分の記憶に焼き付ける方がいいと思っていたし、人間の時間とは無関係の旅をしたかったから、時計も持たなかったんです。
私が19歳で日本を出たころは、日本では中学生と間違えられたり、ヨーロッパなら小学生と間違えられるぐらい幼く見えたので、母の友人はみんな、私の海外留学を心配してくれていました。それでも、私の母だけは「大丈夫よ!耳と目と口があれば、なんとかなるから」と言ったんです(笑)。「困ったら、誰かに聞けばいいじゃない」と。それは、人とコミュニケーションを取ることの大切さを教えていたんですね。この母の一言は大きかったです。「あっ、わからなければ聞けばいいんだ!」と思いました。それは、ある意味で「アスキング・ルール」を教えてくれたんだと思います。よく「電車や飛行機の時間は大丈夫だったの?」と聞かれましたが、要所には時計があるし、ほとんどの人は時計を持っているから誰かに聞けばいいかな、と。それが私のサバイバル・スキルにもなったわけです(笑)。
――人と関わると、その人との繋がりや土地との繋がりが生まれますよね?
NANA そうですね。人に時間を聞いたことから「どこから来たの?」とか「どこに行くの?」とか、いろんな話に繋がることもあるし、家に呼んでもらったこともあります(笑)。パンデミックになってからは、人と繋がる機会が減ってしまった人も多いと思いますが、こんな時だからこそ、「人間は助け合って存在するんだ」ということを思い出して、「困った時には助けを求めてもいいんだ」とお互いを許し合うことが、ますます大切になっているんじゃないかな、と思います。
もちろん、それは相手にリスペクトを持つことが前提で、人間との関わりにも自然との関わりにも「アスキング・ルール」を大切にすることが、これからの時代のキーワードになるように思います。私の母は、何か問題が起こっても、「大丈夫、なんとかなるわよ。目と耳と口があれば」と、私を地球の反対側のスウェーデンに送り出してくれましたが、人との関わりを持って、お互いに助け合うことの大切さを忘れずにいることを学びました。そして、ネイティブの長老から教えていただいた「アスキング・ルール」は、自然の中で生かされている命として、自然からの恵みをいただく許しをいただくことで、人とも自然とも繋がっていくコミュニケーションの方法だと思いました。この二つの「アスキング・ルール」は、地球に生きるすべての命との共存していくための鍵とも言えるのではないでしょうか。
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◯ NANA プロフィール
東京生まれ。高校卒業後、スウェーデンに渡り、美術学校へ。その後、ストックホルム大学で、スウェーデン語と民族学を学ぶ。帰国後、アメリカ人と結婚し、アメリカ、アリゾナ州セドナに移り住む。セドナの自然を案内しながら、セドナ、そして北アリゾナの自然を撮り続けている。その他、ウエディング写真、ホームページ用写真、記念写真の撮影も行いながら、大自然の美しさを通して、命の尊さを伝えたいと想っている。写心(写真)家・ガイドの他に、誘導瞑想、エネルギーワーク、地元のサイキックなどのセッションの通訳、そして自らもヒューマンデザイン・リーディングというセッションを行う。
NANAさんのHPは、sedonana.com
インスタグラムは、sedonanaworld
写真/NANA
構成/ 尾崎 靖(エディトリアル・ディレクター)