はじめまして、新米ライターの志田岳弥(しだたけや)と申します。青年海外協力隊として2年間、ペルーで暮らしていました。それ以来、南米中毒になってしまいまして、今年の年越しも南米で過ごす予定です。このコーナー【新米ライターSは見た!】では、私が南米のあちこちで目撃したいろいろなニュース、トピック、生活の知恵をご紹介します。
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2016年10月までの2年間を、私はペルーのピウラという街で過ごした。若い人たちに聞けば、ペルーではクリスマスを家族と過ごし、正月を友人と過ごすという。日本とは対照的だ。しかし相反するのはそこだけではない。
日本のお正月といえば、家族親戚と集まりこたつにあたりながらおせちや雑煮を食べ、紅白を見て、年越しそば、ゆく年くる年、ぼーん。こういった、のほほんとしたものが一般的だろう。
一方ピウラではこうだ。
それは大晦日だった。鳴り響く破裂音、あちらこちらで飛び散る火花に火薬の匂い、人の叫ぶ声、そして路上に仰向けになり燃える人影……。自分がいる世界を一瞬疑うような光景がそこには広がっていた。
か、過激すぎる……。だがもちろん、ピウラの習慣として大晦日に戦うなんてことがあるはずはない。破裂音は爆竹、花火やそれに歓喜する人の声であり、そして燃える人影がある……。賑やかなペルーの正月だ。
「燃える人影」は何か。みなさんも気になることだろう。
その正体は「アニョ・ビエホ」(año viejo)と呼ばれる等身大の人形だ。
主にダンボールや古紙で作られ、中にはワラやおがくずが詰め込まれ、古着が着せられている。顔はしっかり描かれていたり、適当だったり、のっぺらぼうだったりと千差万別。これを大晦日の真夜中に燃やす。
この風習には厄や負のエネルギーを焼却によって取り払い、まっさらな状態で新年を迎えようという意味がある。日本の除夜の鐘に似ている気がしないでもない。
見た目ではかなり違う日本とペルーのお正月だけれど、やはり新年を祝うのは人。地球の裏側でも人々の願いはあまり変わらないのかもしれない。
使命を全うせんとする人形に街は茜色に染まり、目に映るものは非現実感を強めている。日本では消防法うんぬんで、こんなに賑やかな正月はかなわないだろうけれど、きっと今年も僕らが箱根駅伝を見ているころには、こうして南米の人々が新しく年を迎えているのだろう。来る年の幸せを願いながら。
ちなみにペルーで黄色は「幸せの色」とされていて、黄色のものを身につけて年を越すという習慣もある。これは日本でもできるので、ぜひみなさんも、「幸福の黄色いハンカチ」なんかを身につけて年越ししてみてください。チャオ!
1991年10月2日生まれ。東京都八王子市出身。大学進学を機に沖縄へ、カヤックを始める。卒業後、2014年10月からの2年間を青年海外協力隊としてペルーで過ごす。同国では環境教育に従事。現地の子供達と川で遊んだ日々は一番の思い出。帰国後、現在はのんびりしながら生き方を模索中。