【その先のアパラチアン・トレイルへVol.7】
モントサントニピエリからマンタン自然保護区へ
町を通過する舗装路、その後現れるダートロードの繰り返しでした。
しかも、地図、ガイドブック、案内板の3つが違うルートを示している。その不安と戦いながら、現地の案内板を信じて歩くしかなかったので、道のりはまったく予定が立たず、しばし無理をして歩くことがありました。
予想していたとおり、ハイカーに出会うことはありません。
ヤムナスカマウンテンツアーズさんからの補給は、モントサントニピエリ・モンルイスの10日間以上補給が難しいエリアに、2か所を残していました。
本来は、郵便局留めで食料を送るので、心配はないのですが、そのころ郵便局のストライキがあり、残り2か所はキャンプ場に送っていました。
念のため、日本にいる時に、食料を送ったことをメールしていましたが、キャンプ場からの返事はなし。
果たして、食料は預かってもらえているのだろうか?
モンサンピエリとモンルイスの管理人は同様に英語が出来ずに、食料を預かっている返事が出来なかったそうです。
もちろん、このころのやり取りは、僕が英語、相手はフランス語です。ゼスチャーや知っている単語を並べて話していました。
11年前アパラチアン・トレイルを歩いた時のように、言葉が通じていませんでした。それでも、お互いに理解しようとする気持ちがあれば、なんとか通じるのかもしれないと思いました。
アップダウンが激しく、雨が多い。そして言葉が通じない状況は、11年前の記憶を思い起こさせてくれました。