2015年4月に起こったネパール大地震の後、大きな被害を受けた山間部の村、ラプラック。この村を舞台にしたドキュメンタリー映画『世界でいちばん美しい村』を制作した、写真家・映画監督の石川梵さん。インタビューの後編では、自然と信仰とが密接な関わりを持つラプラックの村と、それゆえに直面することになった課題、そして、映画の完成とともに見えてきた新たな展望について、お話を伺いました。
(注:この記事には、映画の内容に関する記述が一部含まれています。鑑賞前に映画の内容を知りたくないという方はご注意ください)
——ラプラックの人々が信仰しているボン教は、先祖代々受け継いできた土地との結びつきが非常に強い、とおっしゃっていましたね。
石川:そう。人が亡くなると、彼らは火葬ではなく、土葬にします。はるか昔からの代々の祖先が眠っている土地は、彼らにとってとても神聖な存在なんです。ボン教を信仰している人は、一年以上村に戻れなければ、信仰を捨てなければいけないという厳しい決まりもあるそうです。遠くに出稼ぎに行ってずっと村に戻れない人は、結構改宗したりしています。それくらい、土地との結びつきが強いんです。
——村の人々の信仰にまつわる場面としては、映画の終盤で紹介されていた儀式が、とても印象的でした。
石川:毎年5月頃、仏陀の生誕祭のときに「ガトゥの舞い」という伝統的な儀式が行われるんです。5、6歳の無垢な少女が、大人たちの唱えるマントラを聞くと、催眠術にかかったようになって、目をつぶったまま、踊り出すんです。あとで彼女たちに聞いても、それまでそんな風にして踊ったことは一度もない、と。アシュバドルのお母さんも子供の頃にやったことがあるそうで、「私も踊り方は何も知らなかったのに、マントラが唱えられるとしぜんと身体が動き出して、不思議だった」と話していました。
——そんな儀式が、今の時代にも存在し続けているのが驚きですね。
石川:「ガトゥの舞い」は伝説の悲しい物語を再現しているそうなんですが、この儀式を通じて、村の人々はみんな、自分たちの悲しみや悩みや罪をすべて託すのだそうです。聖なる葉っぱを身につけて、それに罪を全部乗せて、土に還すと、神がそれを全部引き受けてくれる。ある種の清めの儀式ですね。ガトゥが人々の悲しみを引き受けてくれるから、村の人たちの心は安定して、生きていけるようになる。この儀式は、地震の起こった2015年には、ちゃんと実施できなかったそうなんです。だからその翌年はしっかりやりたかった、これで村は安泰だ、と村のグル(指導者)は話していました。
——こういった辺境の地での伝統的な信仰の儀式は、石川さんが写真家として、これまで世界各地で追いかけてきたテーマの一つでもありますよね。
石川:僕が写真家を30年やってきた中で追求していた一番大きなテーマは、「祈り」なんですよ。もう一つは、地球のダイナミズムを空から撮ること。そこから「人間と自然の共生」というテーマがいつのまにか浮かび上がってきて、東日本大震災の取材の時に象徴的な形になった気がしています。今回のラプラックの取材のとき、僕は最初、東日本大震災の取材の延長線上のような気持で行ったんですが、映画を撮りはじめたら、いつのまにか、僕が以前からライフワークにしていたその「祈り」の世界に入っていってしまった。まさしく「呼ばれた」感じがしますよね。運命のように。不思議なことに、この『世界でいちばん美しい村』は、初めて撮った映画なのに、僕が30年間追い求めてきたことが、全部入っているんです。まったくアウェイだったのに、いつのまにか自分のホームグラウンドに戻ってきていたというか。