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片道29時間のレストラン
今回の目的地はインド4番目の大都市、南部のバンガロールである。この町にある名門レストラン『MTR』へ行く。
『MTR』とは知人のスパイス貿易商のインド人社長曰く「大勢のインド人たちが大好きなインド製レトルトメーカー。実在するレストランの店名でもあり、そこで出している料理を再現したもので、どれも本場の味わい」と。
その場にあった7、8種類のすべてを試食してみた。すると、甘みもとろみもない玉ねぎ、唐辛子色に染まったたっぷりの油、おろし損ねたと思われる1センチほどのショウガの欠片、噛み切れない何かの種?などが出てきたりと、パッケージは綺麗にデザインされていても中身はやはり武骨なところが、いい意味でとてもインドらしく思えた。
この一件の後、インドにはまだまだたくさんのレトルトカレーとその企業があることを知り、どれも本場の美味しさがあった。
あまりに嬉しくて、インドに興味のない、でもレトルトカレーを食べなれている普通の日本人ならどう感じるのかを知りたくなり、僕が主宰していたミニマガジン『スパイスジャーナル』でインド製レトルトカレーの試食会を開催したこともあるくらい。
ちなみにその時は、6社15種類のカレーを子供や老人も含む日本人16名に試食してもらい、『MTR』のチャナマサラやナブラタンコルマが子供や年配者から人気を集めた。そしてパニールティッカマサラはワインとよく合うということで女性たちから大好評。
こういう背景があり、僕はどうしても『MTR』本店に行きたくなったのだ。
午前10時頃、大阪・吹田の自宅を出発。エアインディアで関西国際空港を14時10分に出て、インディラ・ガンディー国際空港21時30分着。翌9時20分バンガロール・ケンペゴウダ国際空港着。タクシー、オートリキシャーを乗り継いで、ようやく夢の『MTR』本店に着いたのが昼の12時前だった。大阪の自宅からざっと29時間の道のりである。
入口の上に『マヴァリ・ティフィン・ルーム(Mavalli Tiffin Rooms)』と正式な店名が書かれていた。先に1階で食券を買い、2階のダイニングで12時から全員が一斉に食事を開始するという。学校の給食みたいで胸が踊るぅ♪
店内は4人がけの食卓が並び、大家族連れが犇いていた。老若男女の大きな話し声と赤ちゃんの泣く声も入り交ざり実に賑やか。僕が座る食卓だけ、自分が唯一の黄色人種だからか最初は静かであったが、自己紹介をしてからすぐに打ち解けることができた。向かいに若いカップルが、隣には30歳代だと思われる男性一人客が座っている。
いろいろと話をしていると食事が始まった。大勢のスタッフが颯爽とやってきて、水と小さなステンレス製のコップ4つを置いていく。中には紫色の液体。他の3人がくいっと飲み干したのを見て、僕も真似るようにすると、これが濃厚でディープな甘いぶどうジュースであった。
その後、スタッフが続々とやってきて、目の前のプレートに、チャトニー(インド各地にあるディップやソース状のもの)をべちょっと載せ、その直後に別のスタッフが今度はプーリーを。さらにその次のスタッフは野菜のカレーと湯でたコサンブリ(野菜のサラダ)。
どうやらスタッフ1人につき1種類の料理をサーブするようだ。みんな実にてきぱきとした切れのある動きで、リズミカルだから見ているだけでも気持ちがいい。
店内はスプーンのあたる音や食べる音、人々の会話で店内は隙間なく埋め尽くされていた。
プーリーをちぎってチャトニーや野菜をつけて食べる。ココナッツの甘みとコリアンダーの香りが絶妙なマッチング。野菜カレーのジャガイモは柔らかで、こちらも塩分と辛みが控えめなのでいくらでも食べられそう。すぐさまプーリーのお代わりを配りにきたので追加をぺろり。
その後は、さらりとした味わいのサンバル(小さな豆と野菜の煮込み)、酸みと辛みが強いラッサム(スープ)、ライス、ヨーグルトに玉ねぎをいれたライタなどが続々。数え切れないほどの料理が運ばれるうち、同じ食卓の面々が料理の解説をしてくれるようになった。
重湯のようなものは米をミルクで炊いた甘いデザート「パヤサム」。ライスにサンバルのようなものを和えたものは「ビジベルバス」というらしい。料理以外のことも話してくれる。隙あらばお代わりを配ろうとするので、要らない時はプレートの上に手をかぶせればいいとか。また政治家や芸能人もやってくるほどこの店は有名だとか。
最後はパーンが登場。噛み煙草のようなもので、中にナッツやフルーツが入っている。甘みがあってなかなかいける。口直しみたいなものらしい。
どれもスパイスは控えめで、豆や米、野菜などの素材の味を大事にしていることがよくわかった。また料理のアイテムの多さ、一つの素材でも表現が多彩、配色や温度にも気を使っている点も素晴らしかった。店内もよく掃除されており、スタッフの身だしなみや反応の速さも素晴らしい。
そして、初めて会う相席の面々と楽しいひと時を過ごせたことは最高に幸せであった。お客はみんな安心して素直に料理と店を楽しみに来ているように見えた。こうして万人を気持ちよくさせるところが超一流といわれる所以なのだと確信した。
『MTR FOODS』副社長インタビュー。実はレストランとレトルトカレーは別経営だった!
翌朝、インド人通訳のニックU.イクバル氏の車で『MTR』の営業本部に向かう。目的地までは宿から6、7キロの距離。渋滞の中30分をかけて到着した。しかし、そこは巨大なインテリジェンスビル。レストランとは気配があまりにも違う。
出迎えてくれたのは担当者のニーシェント・ナヴィーンさんである。
社内入口には、レトルト製品、ジュースやスナック、アチャール(漬け物)、調味料、即席スパイスセットなどがずらりと並んでいる。オフィスの中を紹介いただいた後、突き当たりの部屋に通された。部屋の大きなガラス窓からバンガロールの街と緑が見渡せる。
なんと光栄なことに、今日はヴァイス・プレジデント(副社長)が話をしてくれるという。白髪交じりの七三わけ。まるでヨーロッパ紳士のような雰囲気のジョティループ・バルアさんであった。
挨拶を終えさっそくインタビューに入る。のっけは、昨日行った『MTR』と今お邪魔している御社が同じものとは思えない、という話から。
「皆さんからよく言われます。実はあなたが行ったレストランMTRとは別の経営なんですよ。我が社は商品のプロダクトと販売の部署です。正確な社名を『MTR FOODS』といいます。工場は別の場所にあって、こちらは営業本部のようなもの。工場もぜひ見ていただきたかったのですが、あいにく今日はメンテナンスで稼働していません。『MTR』の始まりはあのレストランで、2007年にノルウェーのオークラ(Orkla)という会社が運営することになりました」
レストランの『MTR』の歴史を伺う。
「『MTR』の始まりは1924年。マイヤ家の人々がバンガロールの現在の場所に創業しました。衛生環境がとても劣悪だったインドにおいて、マイヤ家はヨーロッパ式の様々な衛生技術、またオペレーションや接客マナーなどのサービスも学び、それをいちはやく導入していきました。これが政財界や芸能人の間でも評判になり、多くの人々から信頼を集めることになったのです。
しかし、第二次世界大戦中に食糧難となり、とても厳しい状況に。そこで『MTR』が考えたのがこのメニュー。本来は米を原料としたイディリという料理があるのですが、これをラヴァ(セモリナ)で作り出したのです。新たなおいしさだと評判を呼び、『MTR』といえばこのラヴァイディリと看板メニューになりました」
イディリとはイドゥリとも発音する蒸しパンの一種で、サンバルという野菜のスープのような料理やココナッツチャトニー(ソース、ディップのようなもの)と共に食べる、南インドの代表的な朝食のひとつである。
「その後、非常事態宣言の時代になり、1976年、店が一時休業となりました。しかし、ここでもまた『MTR』は考えます。イディリやドーサなどのドライミックス、サンバルやラッサムなどのスパイスミックスを開発したのです。各家で『MTR』に近い味を再現することができると、とても人気を呼びました。
徐々に商品が増えていくうち1986年、ついに政府から軍隊用のレトルトパックを依頼されます。これがまたとても便利だと評判となり、南インドに限らず全土の料理を商品化するようになったのです」
非常事態宣言とは、1975年、インフレや汚職、失業が増えたことに不満を募らせる国民が、時のインディラ・ガンディー政権に対する批判活動を抑えるために下された政策だ。言論・集会・結社の自由を大幅に制限し、イスラム教徒の低所得者を中心に極端な人口削減策をとり、多くの反政府派を逮捕したという。そのような混乱期に、画期的な商品が発明されたことになる。
インドは、料理は手作り出来立てが命だと聞く。レトルトに違和感はないのだろうか。
「手作り、出来立て命というのは確かです。でもそれはインドの衛生環境が劣悪だったから。レトルトは作りたてをパックできる、とても安全でフレッシュリーな技術です。違和感があるどころか最先端の技術だと信頼していると思いますよ。そもそも、レトルト技術は日本から伝わったのではないでしょうか。最初にこれを知ったとき、私はとてもカルチャーショックをうけました」
もう一つ気になるのはインドの多様性だ。地域性、宗教、戒律などが複雑に絡み合う国で食の志向も様々である。これらの多様性を、画一的なレトルトで対応できるのか。
「これを見てください。我々のビジョンマップです。例えば南のタミルナドゥ地域ならラッサムやポンガル。西のグジャラート地域ならドクラやテプラなど、全国各地に数え切れないほどの郷土料理があります。これらをひとつひとつ自分の舌と目で確かめながら、現地の一流料理人を探し出し、味の再現と開発をしていくのです。
大変なのは、郷土料理の多様性を知るよりも、本当に味のいい店や料理人と、どうすれば出会えるのかということ。またそのレシピを伝授してもらえるか、という壁もあります。
インドは広い。余所の町へ出れば、我々インド人も外国人のようなもの。終わりのない事業です。現在(2015年4月)、当社にはスープ料理やライス料理も含めてレディトゥイート(レトルト)は40種類近くあります。この数はこれからもますます増えていきます」
インドの複雑多様さに対してインド人自らがトライしているわけだ。最初の一歩はどのように始めていったのだろうか。
「一般向けに販売しだした1995年当初は、ここ『MTR』の地元であるカルナータカ州以外の地域から売り出していきました。インドの多くの男性は越境しています。各地へ働きに出たカルナータカ人たちが郷土の味として食べてくれたのです。それが徐々に中央部や北部の料理へと広がっていったわけです」
『MTR』のレトルトパックは、最初は地元の人間のために作られていたのだった。
じっくりと話しあった後、お昼を社員食堂で頂きながら、社員の方々とも話をさせていただく。
同じ料理でもその人の出身地が違うことで呼称が違ったり、見たことや食べたことはあっても、いまだに料理名のわからないものがあったり。さらにインドと言えばベジタリアンのイメージが強いが、彼らが持つデータでは64%がノンベジ、36%がベジとなっており、これからますますノンベジが増えていくとみている、という話も。インドの広さと多様さ、高度経済の勢いを実感する話ばかりであった。
世界に誇るインスタントとレストランの味
『MTR FOODS』の社員食堂でお昼をごちそうになった後、ニーシェントさんと一緒に『MTR』のモデルショップとも言うべく『マンマ・エムティーアール(MUMMA MTR)』へ向かった。
店は営業本部から約10キロ西にある。店の前の通りは綺麗な並木道で、たくさんの車やバイクが行き交い、時折、牛がのっそのっそと歩いているのが見える。
店内には数え切れないほどの商品が棚にぎっしりと犇いていた。まずはレトルトカレーのコーナーから。棚の一列ごとに種類がわかれている。
先ほどジョティループさんが話していたように、確かに南に限らず他地域のカレーも豊富だ。パニールティッカ(プレーンのカッテージチーズ入りの辛口のカレー)やパニールティッカマサラ(タンドールで炙ったパニール入りのカレー)は北インドの典型的なカレーである。
日本でよく見かけるダルフライ(小さな豆を炊いたスープのようなもの)やチャナマサラ(ひよこまめのカレー)、ミックスベジタブルカレーもある。さらにアールメティ(ジャガイモをメティというハーブと共に煮たもの)やラージママサラ(金時豆の濃厚なカレー)、ビンディマサラ(オクラのカレー)など日本人があまり見慣れないものもわんさかとある。
他にもベジタブルプラオ(野菜ピラフ)やトマトライス(トマトで味付けたさっぱりとしたご飯)、レモンライス(レモンや豆、スパイスであえた南インドのご飯)などのご飯類なども。さらに昨日のレストランで印象に残ったビジベルバスもあった。これは、たっぷりの野菜と米を炊いたような不思議な料理である。
さらにミックスと称して先述のラヴァイディリミックスやウッタパムミックス(米を原料にした白いお好み焼きのようなもの)、ラヴァドーサ(セモリナで作る南インドのクレープのようなもの)、ヴァダミックス(米や豆を原料としたドーナツのようなもの)、ドーサミックス(プレーンのドーサ)などが。またドクラやグラブジャムンといった西や北の甘いスナックなどのミックスも揃う。
スパイスミックスも数え切れない。先ほどのビジベルバスやプラオ、サンバル。チャートマサラ(主に北インドで多用されるライタやサラダにかけるパウダードレッシング)、ガラムマサラ(主に北インドで肉料理などに多用される香り用ブレンド)、中にはオールマイティに使えるマルチタイプ、カレー粉的なものもあった。
何種類あるのかと尋ねると「たぶん200種類近く。いや、すでにそれ以上」と苦笑いのニーシェントさん。
「週替わりでここのマジックキッチン(インスタント調味料)という商品の実演調理もしており、お客さんに試食をしてもらうことも。いかにしてインド各地のおいしさを再現し、それをパッケージしていけるかが私たちのやるべきことなのです」
気が付けば3時を回っていた。5時間以上に及ぶ取材であった。
夜、通訳担当のニック氏と食事に行く。行き先はもちろん『MTR』。ただし、この日は本店が定休日だったので、本店から北へ3キロほど行ったセントマークスロード店へ行く。
こちらで名物のラヴァイディリを食べる。カシューナッツやスパイスが入る蒸しパンの上に小さな容器に入るギーが載っていた。これを少しだけたらして、スプーンでイドゥリを潰すようにしてほぐし、サンバルを染み込ませながら食べる。
甘みのないおからのような食感で、これもいくらでも食べられそう。調子に乗ってラヴァドーサとマサラドーサも頼んだ。ドーサも本来は米と豆で作るものだが前者にはセモリナ粉を使用。後者は中にポテトのスパイスで煮たおかずが入っている。北インドと比べて、油分は控えめで、米や豆、野菜を中心にシンプルな調理法をとるのが南インド料理の特徴。基本的に日本人には馴染みやすい気がする。
現在バンガロールに本店を含めて6店舗、他シンガポールとドバイにも1店舗ずつあるという。いつか日本支店ができることを祈って、バンガロール取材を終えるとしよう。
『マヴァリ・ティフィン・ルーム ラールバーグロード店』(本店)
ラールバーグメインロード14番 月曜休 マスターカード、ビザカード可
最終日にニック氏とラヴァイディリを食べた店
『マヴァリ・ティフィン・ルーム セントマークスロード店』
セントマークスロード、ホワイトハウス グランドフロアー29番 無休 マスターカード、ビザカード可
他7軒、州都バンガロール圏内に合計9軒の店がある。さらにウドゥピ(インド西部y)、シンガポール、クアラルンプール、ドゥバイにも支店がある。
『NAMMA MTR』
バナシャンカリ、ステージⅡ、クリシュナ・ラジェンドラロード2951番 無休
他ラジャジナガル店もあり
*データはすべて2019年8月時点