世界的な聖地・パワースポット、セドナに住んで23年になる写心家・NANAさんは、セドナの大自然をガイドしながら、住んでいる人だけが触れられる四季折々のセドナの自然を写真に収めています。NANAさんの「写心」と、NANAさんが、セドナの大自然やネイティブ・アメリカンの人々から学んだメッセージは、忙しく暮らす日本の人たちに新しいビジョンを与えてくれます。
ーー「住みたい!」と思うほど、NANAさんがセドナに惹かれた理由は何ですか?
NANA 私がセドナに住むようになったのは23年前。きっかけは、友人の住ん でいるセドナに遊びに行ったことでした。初めてセドナの赤い岩山を見た 時に、わけもなく涙が出てきたんです。そして「こんな景色は日本で見たことがないのになぜ懐かしいんだろう?」「この懐かしさはどこから来る んだろう?」と想ったんです。そして、その瞬間に、それまで住んでいたフェニッ クスから引っ越すことを決めました。私だけでなく、セドナを訪れる多くの方たちが、同様に「なんだか懐かし い」と言うんですよね。
ーー一来たことのない人も、セドナを懐かしいと思うのはなぜでしょう?
NANA 地球の歴史が剥き出しになっているセドナの大地は、日本人、あるいは、 すべての人種を超えて、私たちの細胞の中に刻まれている生命としての記 憶を刺激するのかもしれません。セドナの風景を見ていて、そう感じました。
日本人が考える自然は、やっぱり森とか木とか湖とか、空気に湿度があっ てしっとりしているでしょ。でも、セドナの自然は乾燥していて、岩山が 剥き出しで、日本とはまったく違います。日本の人にとっては、セドナの 自然は「超現実」というか、日常感のない自然に感じると思います。だからこそ、岩が剥き出しになっている光景や、日本には全くないような自然 に触れた時に、初めて見る風景と共に、日本にいる時とは全く違う「本来の自分」に出会えるんじゃないかと思います。
ーーなぜ、そういう風景が「全く違う自分」に気づかせるんでしょう?
NANA 自然は、人間を全部受け入れながら全くジャッジメント(判断)しません。そして、セドナに広がる、まさにマザーアースを感じられる大自然に 触れた時、誰からも「ジャッジメントされない自分」と出会うことができ るようになる。それは日常の生活の中にあっては、なかなか難しいかもし れません。日本では常に「こうあるべき」という基準に自分を当てはめて、「自分じゃない自分」のことを自分だと思って生きている人が多いの ではないでしょうか。
セドナに来て、非日常の自然に身を置いた時に、ジャッジメントされない 本来の自分を再発見するんです。あるがままの自分と出会い、「あ、私はこのままでいいんだ!」と気づくんですね。
日本からセドナに来る人は、ブレない「自分軸」というものを無意識に求めているのかもしれないですね。自分の外側の状況でいつも揺れ動いてしまうから、潜在的に「自分の軸」を求めているようなところがあるように 思います。「自分の軸」を取り戻して、本来の自分らしい自分に出会えるのがセドナかもしれません。
ーーセドナにいると、自然や自分に対する考え方はどう変わるんですか?
NANA 国や地域を超えて地球そのものを感じられるような風景と出会った時、まず感じるのは「地球自体が一つの生命体であるんだ」ということ。そして、私たちは孤立した存在ではなく、自分も母体であるマザーアースの一部なんだという感覚になる、ということでしょうか。
セドナの街は世界的な観光地ですが、トレイルに入るとワイルドです。私 も23年間住んでいますが、まだ行っていないところがたくさんあります。 セドナをはじめ、北アリゾナには人間の手が入ることができないような場所がいくつもあります。岩がアーチになっていたり、岩に穴が空いていたり、長い首の恐竜のようだったり「何でこんな風になっちゃったの?」と思うような光景と出逢うと、「神様はいる」と素直に想えます。
神というのは一つの言い方にすぎませんが、人智を超えた計り知れない自然の力、ネイティブの人々がグ レートスピリットと呼ぶ存在でしょうか。 大自然への畏怖の念を感じるその瞬間、創造神話がひとりひとりの中で 生まれるのかもしれません。
ネイティブの人たちは、石や岩は人類が生まれてくる前のご先祖様として、リスペクトを持って「ストーンピープル」と言うんです。石や岩は、地球の原初の命であり、すべての生命にとって地球の一番古い智恵を内胞している最古のご先祖様である、という思想です。
ーーなんだか、日本の神道と少し似ていますね?
NANA ネイティブの人たちの発想は、大昔、大和民族が持っていた発想に近い と思います。岩とか石も生きていて、命が宿っている。山が御神体だっ たり、岩が御神体だったり。ネイティブの人々が石や岩を一番古いご先祖様と考えるのは、日本の八百万の神様の発想と近いですよね。そうい う感覚を私たち日本人は元々持っているので、ネイティブ・アメリカンの考え方が、すっと胸に入ってくるのではないでしょうか。
「岩がご先祖様」という発想は、国や文化や人種を超えて、あるいは、す べての生命の種も超えて、すべてが母なる大地から生まれてきた命として存在しているという実感です。
ーー日本人が失ってしまった原初的な感覚を、ネイティブの人たちはキープしているんですね?
NANA すべての生命は、地球という母体、マザーアースの中から生まれ、生かされているという実感。そのことを、ネイティブの人たちは、「All My Relations」=「ミタクオヤシン(ネイティブ・アメリカンのラコタ族の言葉で、自分と繋がるすべての命に感謝するという意味)」と言います。
アリゾナ州は北米でも一番、ネイティブの人口が多く、ネイティブの居留区も面積的に一番広い地域を占めている場所です。 特にアリゾナ州では、ナバホ族、ホピ族が有名ですが、ホピのホテビラ、 オールドオライビなどの村は、現存して存続してきた村としては、北米最古の村なのです。そしてそれらの村の奥の方は、今でも電気、水道、ガス などが通っていません。
ーーなぜ、私たちが「文化的」と思う生活を選ばなかったんでしょう?
NANA 私は以前、今は亡きホテビラの村の長老にお会いした時に「なぜこの村には電気も水道も通っていなんですか?」とお伺いしたことがあります。 その時の長老の答えに、私は戸惑いを隠せませんでした。
「自分たちは地球の地脈を守っている。世界の地脈が狂ってしまうから、 自分たちの土地にはそういった物を通してはならないのだ」とおっしゃっ たんです。
彼らの視点は、自分たちだけの場所、自分たちだけの世代、を超えているんです。よく、ネイティブの人は「七世代先の子供たちを思って、自分たちの資源 を考えながら使う」と言われますが、本当にそうなんですよね。
ネイティブの人たちは、人が人を支配し、人が自然を支配するという選択をしなかった。
私たちはみんな、マザーアースに生かされている存在で、人間も、他の動物たちもすべてマザーアースの子どもなのだから、みんなが共存していく にはどうしたらいいか? そして七代先の子どもたちが生きる世界に自分たちができることは何なのか?
それは、まさに今、私たち、人類に突きつけられている問いかけなのではない でしょうか。
ーーまさに、SDGsとかサステイナビリティと言われている発想の原点ですね?
NANA そうですね。七代前の人々の想いに支えられて今の私たちが在るのだ、ということを想い、自分もマザーアースの子どもなのだという意識を持って、どんな小さなことでもいい、美しく健康な母なる大地を七代先の子どもたちに残していくために、今、自分ができることを出来るところから行動に移していくことが求められているのではないかと想います。
日本の人たちがセドナにやって来て「懐かしい」と感じるのは、セドナの自然が、理屈ではなく、日本人が本来持っているネイティブな感覚を呼び起こしてくれるからかもしれません。
NANA 日本に住んでいても、この地球上のどこに行っても、私たちの命は、自然の中で存在しています。私たちは、自然なくして生きていくことはできないのだから。
ーー今の日本人にも、もっとネイティブ・センスが必要ですね!
NANA 古の昔、自然とともに生き、自然を愛し敬ってきた大和の人たちのスピ リットを、セドナの体験を通じて呼び覚ますお手伝いができれば本望で す。そして、何者にもジャッジされない本来の「自分の軸」を取り戻して いただきたい。それがセドナに暮らしながら、日本人としての魂を誇りに 生きる私のお役目だと想っています。
NANA プロフィール
東京生まれ。高校卒業後、スウェーデン に渡り、美術学校へ。その後、ストックホルム大学で、スウェーデン語と民族学を学ぶ。帰国後、アメリカ人と結婚し、アメリカ、アリゾ ナ州セドナに移り住む。セドナの自然を案内しながら、セドナ、そし て北アリゾナの自然を撮り続けている。その他、ウエディング写真、 ホームページ用写真、記念写真の撮影も行いながら、大自然の美しさ を通して、命の尊さを伝えたいと想っている。写心(写真)家・ガイ ドの他に、誘導瞑想、エネルギーワーク、地元のサイキックなどの セッションの通訳、そして自らもヒューマンデザイン・リーディング というセッションを行う。
NanaさんのHPは、sedonana.com インスタグラムはsedonanaworld
写真/NANA
構成/ 尾崎 靖(エディトリアル・ディレクター)