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人間との関わりが深い西表島の亜熱帯照葉樹林
西表島の亜熱帯林は、じつに人臭い森である。島の北部を流れる浦内川河口にマングローブが広がっていて、カンムリワシやイリオモテヤマネコなど希少動物の宝庫である。浦内川上流部まで観光船で行き、そこから南部の大原集落まで抜ける横断歩道は、わたしも経験があるが場所によっては踏み跡が定かではなく、増水すると身動きがとれなくなる。
登山者が行方不明になる遭難も、数年に一度は聞く。現在、竹富町役場では単独入山を禁止しており、入山届を役場、警察、観光船乗り場に提出することを義務づけている。その限りでは、秘境というべきかもしれない。
しかし1945年に米軍によって撮られた空中写真をみると、島のかなり奥まった場所にまで農地があったことがわかる。カンムリワシやイリオモテヤマネコも、じつは人里近くの田畑を餌場にしている。イチジクの仲間がやたらに目につくのは、人が開墾したあとに侵入したものだろう。
「イノシシサミット」で狩猟文化をディスカッション
気をつけて森を歩くと、あちこちに猟師道やくくり罠なども見られる。実際、この森ではイノシシの固有亜種であるリュウキュウイノシシ(Sus scrofa riukiuanus)の猟が昔からおこなわれてきた。
この西表島で亥年の2007年12月15〜16日に第2回イノシシサミットが開催された。イノシシサミットの話はまた後でも触れるが、沖縄島、奄美大島、石垣島、西表島、台湾から猟師や研究者が集い、イノシシにまつわる地域の文化や自然との共生について語り合う会である。
西表島では、イノシシはカマイと呼ぶので、ここではカマイサミット。1日目の午前にはリュウキュウイノシシの系統分類学、動物考古学、そして民俗学や人類学、生態学について研究者の発表があった。午後には猟師からそれぞれの島での狩猟に関する儀礼、伝承、技術、解体の仕方、料理方法などについて意見交換があった。
西表島の猟師が跳ね上げ式脚括り罠を仕掛ける様子を見に行った
西表島では、冬期間の10月から翌年の田植えを終える3月ごろまでがカマイの猟期だ。最初にヤマ(猟場)に入るときにはカンダシカ(標準和名オオバルリミノキ)を横にひき、それからクワズイモの大きな葉のなかに白飯とマース(塩)をまぶしたものを道端に埋めて、それを跨いで入るというしきたりがあったようだ。
カマイはオキナワウラジロガシやスダジイの豊作年には脂がのって、翌年に仔イノシシも多いという。ただ、どんぐりの実りが少なくとも、アブチャン(標準和名モクタチバナ)などの果実を食べてカマイは食い繋いでいる。人臭い西表島は、動物にとって豊かな森なのだ。
2日目にはカマイ猟のヤマをまわって、地元猟師による跳ね上げ式脚括り罠を設置する実演があった。
リュウキュウイノシシの刺身は、コリコリの歯応えと何ともいえない甘味!
夕方からはまずビール、そのうち島酒(泡盛)を傾けながら存分に語るという愉快な2日間であった。いちばん驚いたのは、その場で振る舞われたカマイの刺身だ。日本ではウシやウマ、シカ、クジラなどの刺身はよくあり、沖縄ではヤギの刺身も人気があるが、なかなかブタやイノシシの刺身はない。
細かく切ったカマイの刺身は、コリコリとした歯応えと何ともいえない甘みが魅力だった。本土ではブタやイノシシの刺身は、とりわけE型肝炎のおそれが高いことが知られている。同行した当時20歳の長男にカマイの刺身を食べさせたことで、妻にこっぴどく叱られたことを思い出す。
しかし、西表島ではそのような懸念はついぞ聞いたことがなかった。離島なので、イノシシ自体へのE型肝炎ウイルスの感染の度合いが低いのかもしれない。
西表島の文化運動を支えてきたアクティビストが急逝してしまった
イノシシサミット当初からの主要メンバーである石垣金星氏は、自分は猟が下手だといいながらも、意見交換会の司会と翌日の猟場まわりや罠の実演に大活躍であった。
西表島租納集落生まれで、高校からは島を出て大学卒業後に中学校教員として島に帰ったのち、学校教員は退職。その後は島おこし運動を牽引して、西表をほりおこす会、西表ヤマ学校、金星文庫などの文化運動を展開した金星氏であった。「文化力のある島は滅びない」ということばを残して2022年6月30日、暑い暑い日に突然この世を去ってしまった。