冒頭の絵は18世紀末から19世紀初頭の沖縄、奄美を描いた絵巻「琉球嶌真景 第9景」(名護博物館所蔵 https://www.city.nago.okinawa.jp/museum/)。縄を結ばれているのは島ブタだとされる。イノシシが家畜化されてブタは生まれた。沖縄島は豚食が活発だが、その始まりは意外に遅く16世紀前半に中国や東南アジアから伝わったという。
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島で命をつないできたリュウキュウイノシシは小型な亜種
日本列島の南西には、約1000kmにわたって琉球列島が連なっている。奄美諸島や沖縄諸島、八重山諸島などを含んだこの地域は、日本本土とは気候や風土が異なって亜熱帯の植生や動物相を育んでおり、文化や言語も高い独自性をもっている。
リュウキュウイノシシは、この琉球列島の一部に分布するイノシシの固有亜種である。もともと奄美大島、徳之島、沖縄島、石垣島、西表島に自然分布していたと考えられるが、奄美大島周辺の加計呂麻島、請島、与路島へは海を渡って分布を広げ、慶良間諸島や宮古島には人が持ちこんだとされる。
沖縄では3000年も前からリュウキュウイノシシを食してきた
日本本土に分布するイノシシ(Sus scrofa)は、オス体長110〜170cm、メス100〜150cm、体重80〜190kg、ときに200kgをはるかに超す個体も捕獲されている。それに対してリュウキュウイノシシはかなり小柄で体長50〜110cm、体重20〜50kg程度である。
狭い島で必ずしも食料が豊かではないために体サイズが小型化する島嶼現象のひとつではないかと言われている。
日本本土でもそうであるが、リュウキュウイノシシはこれらの島々でも古くから狩猟の対象であった。本土の縄文時代後期に対応する沖縄の貝塚時代前4期(4000〜3000年前)の遺跡からはリュウキュウイノシシの骨が多数見つかっており、内陸の遺跡では動物骨の大部分がリュウキュウイノシシであることも少なくない。
沖縄島北部のやんばるは世界自然遺産登録地で固有種も豊富だ!
沖縄島北部を「やんばる」と呼ぶ。やんばる(山原)とは「山々が連なり、鬱蒼とした常緑広葉樹の森が広がる地域」という意味だ。現在では名護市以北の地域、とくに大宜味村・東村・国頭村がやんばる3村と呼ばれる。
ヤンバルクイナ、ノグチゲラ、ホントウアカヒゲなど森林性の鳥類など、この地域以外にはみられない固有種の生息地としてユネスコ世界自然遺産の一部に登録された。
初めてやんばるを訪問したのは、いまから40年以上も前である。そのころはほとんど観光客もおらず、常緑広葉樹林の伐採が進んでいた。そのため、ホントウアカヒゲやリュウキュウキビタキの声もまばらだった記憶がある。
やんばるでは沖縄南部と結ぶ道路が整備される昭和初期まで「やんばる船」という商船で、砂糖や藍、木材、薪炭、山原竹(リュウキュウチク)などの産物を東海岸の那覇・泊、西海岸の与那原まで運び、帰路は酒や焼き物などの日用品を積んできた。とくにやんばる船の運航に積極的だったのが国頭村の北端に位置する奥集落である。
一時期は沖縄で200を数えた共同売店がスタートしたのも奥集落だった。共同売店は単なる商店ではなくコミュニティビジネスの拠点で、海運で得た利益を木材や薪炭の出荷高に応じて分配したり、帰路で仕入れてきた商品を売掛で販売したり、外部から隔絶された集落の生活に不可欠な存在であった。
やんばるの奥集落は自給的な暮らしで毒蛇のハブも食す
そうした奥集落では、森の恵み、海の恵みを巧みに利用する術も発達した。いまでもこの土地ならではの自給的な食材をみることができる。猛毒のハブもここでは立派な食材。個人で小規模に釣りや網で魚を獲っておかずにするのもふつう。島では、海も山も里も日常的に食料調達の場なのだ。
森と里の境界に残る「猪垣」へ案内された
この地域では近世以降に猪垣が築造され、昭和30年代なかばに管理が放棄されたが、その遺構を各所にみることができる。大宜味村の総延長32kmにも及ぶ長大なヤマシシガキ、そして奥集落の畑地を囲い込んだ大垣(うーがち)が代表的なものである。
地形に応じて、異なる構造の垣を巧みに連続させ、破損箇所をみてまわる担当者を置くだけでなく、個人単位で分担する場所を明示して維持管理する取り決めがあったことが大きな特徴である。管理を怠った場合には罰金を科すなど、厳しいものだったと聞く。
害獣か森の恵みか? 第1回「イノシシサミット」で議論
20世紀最後の亥年だった1995年、国頭村奥で第1回イノシシサミットが開催された。亥年にちなんで、これまで一同に会することがなかった奄美大島、徳之島、沖縄島、石垣島、西表島の猟師や研究者が集い、イノシシとイノシシ猟に関する地域の文化や自然を語り合うという新しい試みであった。
総勢200名あまりの参加者があった。限られた資源で暮らす離島では、イノシシは農作物を荒らす有害獣であると同時に、人々に山の幸を授ける存在でもあり、その両立こそが自然との共生であったという明確なメッセージが、この第1回サミットの場から発せられたのである。