台湾原住民族のなかにはイノシシ猟をおこなってきて、動物たちの羽根や毛皮で身につけ、動物たちを衣装や家々に描く人々もいる。濃密な動物たちとの交流の証しだ。そんな彼らは猪肉をさっと火で炙り、薄味で調理しました。
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台湾・屏東で開催されたイノシシサミット
亥年ということで、やんばる開催の第1回イノシシサミットから12年後、2007年に西表島で第2回カマイサミットがおこなわれた。しかし、イノシシ猟の多くの伝承者は高齢化が進んでいる。
さすがに12年に一度というのではこちらの命が先に尽きるというので、せめてオリンピック並みにしようと実現したのが、2010年台湾・屏東での第3回イノシシサミットである。
西表島のサミットには、台湾原住民族(日本では先住民と表現するが、台湾では原住民族が正式表記である)であるパイワン(排湾)族の猟師・サキヌ(撤可努)氏を招待していた。
オーストロネシア語族の故郷である台湾
台湾原住民族とは、中国大陸から移民が増加する17世紀以前から台湾に住んでいた人々である。日本統治時代には総称して「高砂族」と呼ばれていた。2005年に原住民族基本法が制定され、現在は16民族が政府に認定されている。
彼らは母語として、オーストロネシア語族に属する言語を話している。オーストロネシア語族とは、インドネシアやフィリピン、さらにポリネシアで話される言語だ。そのため、かつて台湾原住民族は南から渡ってきた人々であると考えられていた。
しかし、最近の研究で言語学的に台湾原住民族諸語のなかに極めて高い多様性があり、文法でもオーストロネシア語族の祖先型を保持していることから、いまではオーストロネシア語族は台湾から南へ広がったと考える研究者が多い。
パイワン族は衣装や民家に毒蛇を描く
そのなかでパイワン族は現在およそ11万人の人口を擁し、台湾原住民族のなかではアミ族に次いで多い。台湾南部の屏東県全域と台東県南部に居住圏がある。他の台湾原住民族に見られない特徴として厳格な社会階層があり、貴族層と平民層に分けられている。
貴族層には首長である「頭目」が含まれていて、「頭目」は世襲制で、いちばん先に生まれた子が男女を問わず継承権をもつ。
いまでは野外博物館でしか見ることができないが、伝統的には粘板岩のスレート葺きの家に住んでいて、木製部分には彫刻が施されている。
とくにヒャッポダは「頭目家」の象徴であり、「頭目家」だけが家や衣装などのデザインに使うことが許されている。ちなみにヒャッポダは、噛まれると百歩も歩かないうちに死に至るとされる毒蛇である。
香辛料を使わず薄味に仕上げたタイワンイノシシ料理
台湾では、野生鳥獣の狩猟は禁止されている。しかし、政府に認定された台湾原住民族だけには、「自然主権」として狩猟が許可されている。サキヌ氏は、パイワン族のハンターだ。
パイワン族ではイノシシのことをバブイと呼ぶ。台湾に分布するのは、イノシシの亜種タイワンイノシシ(Sus scrofa taivanus)である。2010年11月20日〜22日に屏東県三地門にある台湾原住民族文化園を主会場として、第3回バブイサミットが開催された。
開会式は、行政院原住民族委員会文化園区管理局長やパイワン族だけでなくルカイ族の首長たちも列席した大規模なものになった。
式典後の食事会で、バブイの肉や山菜などパイワン族やルカイ族の料理は出たことはいうまでもない。あまり油や香辛料を使わない、薄味の飽きのこない料理だ。
狩猟を禁止すべきか否か? サミットで大きな議論に
台湾原住民族だけに狩猟が許可されていることに対して、台湾国内でも動物愛護団体からは全面的に禁止すべきだという声があり、いっぽうで狩猟が原則禁止されているために農林業に対する獣害の拡大が防げないという反論があって、バブイサミットでも大きな議論となった。
イノシシサミットは第1回から、イノシシは有害獣であると同時に、人々に山の幸を授ける存在でもあるという一貫した立場である。わたしも台湾原住民族の狩猟に関する伝統的知識や技術が継承されることで、台湾の自然との共生が果たされると考える。
イノシシサミットはこのあと2014年に奄美大島で第4回大会が開催されたあと、残念ながら10年も休会状態である。すでに中心人物だった奄美大島の中山清美氏も西表島の石垣金星氏も亡くなられてしまった。志を嗣ぐ若者たちの出現を心から願っている。